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ミュンヘンにて

(その1)




 さてフランクフルト国際空港で初めてのヨーロッパ の大地を踏みしめた。

 トランクは最終目的地ミュンヘンにて受け取ることにしていたので、手荷物を持って入国審査窓口に向かう。 どこがその窓口かわからず、かまわず乗客の流れに従って進むと何だか検問ゲートらしき所でパスポートの提示を求められた。

 無言で手渡すとその内容と私を5秒ほどみていたが、そのままその検査官も無言でパスポートを返してくれた。

 入国審査では必ず入国証明のスタンプをパスポートに押すものと思い込んでる私は首を傾げながら先に進む。


 あとゲートらしきものは無くそのまま国内線乗り継ぎゲートへと向かった。しかし、国際空港にもかかわらずほとんど表示はドイツ語のみ。大学で形ばかりのドイツ語勉強はしたが一切役に立たない。さあ、困った。(実は英語もほとんど話せない私。
 ミュンヘンでは出迎えがいるので一応安心なんだが・・・・・・・・・・)
  
 途方にくれてしばし佇んでいると、くだんの機上でお世話になったドイツ人婦人が出口へ向かってるではないか。 天の助けとばかり彼女に走り寄り、ミュンヘン行きの国内線ゲートへの道を教えてもらい、事無きを得た。


あーしんど!


 ようやくミュンヘン行きの飛行機に乗り込む。国際線では日本人が数十人乗っていたが国内線では皆無! アナウンスもドイツ語のみ。(英語があっても半分も解らないけれども・・・・・) ままよ、何とかなるだろうとタカをくくって機内誌などに目を通す。 やはりドイツ語だー (当たり前)

  機内で不思議に思ったのは日本では必ず救命胴衣の説明をするがこちらは一切なし。良く考えると確かに海など無いのだから必要ないかなど変に納得した。

  そうこうしているうち、およそ一時間でミュンヘンに到着。やれやれ。と思ったのが大間違い。まだまだ試練はあったのです。


 なんと成田で預けたスーツケースを受け取る段になっていくら待っても出てこない。仕方なく係員のおばさん (ドイツ人の40過ぎの方ですので御他聞に漏れずものすごく立派な体躯の持ち主) にボディランゲッジよろしくスーツケースが無いことを説明。

  “窮すれば通ず”の言葉通りなんとか解ってもらって書類に必要事項 (これもある程度感で;何故なら全てドイツ語フォーマット  連絡先のホテル) を記して、一旦、ゲートを出ようとしたが、くだんのおばさんが盛んに呼びとめる。なんだまだだめかと思って話を聞いてみると書類の控えを持って行けとのこと。当たり前だけど結構気が動転しているためかおっちょこちょいさが一層顔を出す。

  この間、約一時間。ゲートを出ると迎えのドイツ人 Mr.H がずっと待ってくれていた。

 感謝、感謝 !!!

 これで、初めての一人旅ともおさらばできる。 Mr.H の車で彼のオフィスへと向かった。これでほんとのやれやれ である。
 


 ホテルはUバーンの ハイメランプラッツ駅の近くであった。

明日からのミュンヘン 、ザールブルッケンの10日間異国での初体験を順次記してゆきたい。

 

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