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木曽路(旧中仙道)オフ

◇“パソコン通信ウォーキングフォーラム”オフラインミーティングへの参加

今回は旧中山道の木曽路オフラインミーティングの様子をお送りします。今回同行頂いたのは Mr.T、Mr.O、Mr.Kの3人です。

なお人物写真は“ポスタリゼーション”、ボカシ等の処理をしております。ご覧のモニターのカラー設定のせいではありませんので念のため。


map of kisoji

1997年7月28日、朝6時、名古屋駅より中央本線の普通電車に乗り、集合場所の南木曽駅を目指す。外は台風の影響であいにくの雨が落ちてきた。電車は中津川止りなのでここで乗り換えである。特急電車が着いて豊橋からすでに知己を頂いてるMr.Oが降りてこられた。

ところがホームにはすでに同じ普通電車にてあとのお二人もいらしていてここで初対面のご挨拶をする。下り電車でスタートの南木曾まで行く。 

南木曾駅で
記念写真をとり早速出発する。線路沿いに登って行くと旧中山道の標識と案内板があった。いよいよ木曽路の旅だ。

道幅は車1台が楽に走れる程度。昔に思いを馳せて皆さんの後に続く。

相変わらず小雨はぱらついて傘が手放せない。しかし、小雨ならなんとか大丈夫と思っているがなにせ大型台風接近中につき予断を許さない。

雨脚が強くなる。傘をさしてても足元が濡れる。靴が沁みてきた。途中皆さんは雨合羽を装着。私は短パンなのでそのまま歩く。かなり靴下が濡れてきたので途中で履き替える。

妻龍入り口 そうこうしているうちに しばらくゆくと妻龍への分かれ道にでる。 すぐ右の小高い丘のうえが妻龍城址で、登ってみるとはるか下方に妻龍の宿が小雨に煙っている。

妻龍城址 城址を後にして妻龍の宿に降りて行く。観光ブックなどでよく見かける風景が目に飛び込んできた。江戸時代にタイムスリップしたようだ。

先般ブルージュで14世紀にタイムスリップしてきたばかりだがこんどは17世紀だ。

 村に降りて行くと、この悪天候をついて観光客が結構でているのには少し驚いた。

妻龍の里 しかし石畳の道は雨にぬれていい風情を醸し出している。 100mほど歩いてほぼ街の中心で一休み。丸太を繰り抜いたおおきな水桶でタオルを洗う。いい気持ちだ。

 妻龍の宿を後にして馬龍を目指す。どんどん登りになってくる。雨がほとんど止んできて傘を畳んで歩き始める。しばらくして関所あとの休憩所で再び休憩。山道は結構疲れる。

馬龍峠 もう少しで馬龍峠で、それから一気に下れば馬龍の宿で待望のビールで昼食だ!!馬龍の宿にも結構観光客が押しかけていて鄙びた感傷にふける風情ではなかった。

 馬龍には本陣や「夜明け前」の島崎藤村記念館などがあった。もっとも玄関から覗いただけだったけど。

 ともかくビールだ。皆さんを1軒の食堂に引っ張り込む。早速座敷に上がり込んで、乾杯のあと名物の五平もちを頂く。甘くなくてビールとも良く合い結構いける。

是より北木曽路の石碑 腹も収まって再度出発。馬龍をすぎてしばらく行くと信濃/木曽の国境石碑があった。「是より北木曽路」の文字が読める。

今度は落合の宿に向かって進む。雨は上がった。しかし、空は台風曇に覆われていて、いつまた降ってくるかわからない状態である。

中津川駅前 馬篭を過ぎると昔の風情が無くなり、一気に20世紀に逆戻りである。途中標識の不備で旧中仙道を見失い、20分ほどロス。先般逆コースを歩かれたMr.O の案内で又、ルートに戻る。しかし落合宿から中津川へ抜けるときの坂のきつかった事。見た目にたいした坂でもないのに“ぜいぜい”いいながら登っていった。

 しばらく歩いて、中津川の街に到着。空は今にも泣き出しそう。予定ではあと5km先の恵那市のMr.Kのご自宅まで行くつもりだったが、台風がそこまで来ていて今にも大荒れになりそうだったので予定を変更して中津川駅をゴールにした。南木曾−中津川約20km の歴史の旅でありました。 

台風来襲のなか、お付き合い頂いた Mr.T,Mr.O ,Mr.Kの皆さんにに感謝,感謝!


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