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◆皇居東御苑◆

今回、江戸城の中核を成していた天守閣跡、本丸、二の丸跡などがある皇居東御苑を歩く。
東御苑

明治の大手門
先ず東京駅丸の内北口からまっすぐ皇居に向かって少し右手に大手門があるのでこれを目指す。

大手門(昔の面影)は言わずと知れたお城の正面玄関である。門をくぐるとすぐ右に渡櫓がある。
大手門
鯱
この桝形門の内部に旧大手門渡櫓についていたおおきな鯱が飾ってある。渡櫓を入るとそこにまたゲートがあり門衛より入城証を貰う。ところで東御苑は月、金はお休み。入場無料。
 

入って奥へ進むと門が三つありそれぞれその門を警備する番所がある。即ち 外側から同心番所、百人番所、大番所である。同心番所は同心が詰め、主として、登城する大名の供の監視に当たっていた。

また百人番所は本丸と二の丸へ通じる要所である大手三之門の前に設けられた番所。鉄砲百人組と呼ばれた、甲賀組、伊賀組、根来組、二十五騎組の4組が昼夜交代で詰めていた。各組には同心が100人ずつ配属されていた。

 大番所は中之門の側に設けられ、他の番所よりも位の高い与力・同心によって警備されていた。前の坂を上がったところが本丸の入口で、中雀門があった。
中之門中之門
多聞と櫓

本丸跡に登って行く。左に行くと富士見櫓で更に進むと忠臣蔵で有名な松の廊下跡がある。更に先に進むと富士見多聞がある。

「多聞」とは、防御を兼ねて石垣の上に設けられた長屋造りの倉庫のことで、多聞長屋とも呼ばれた。鉄砲や弓矢が納められ、戦時には格子窓を開けて狙い撃つ高尾とが出来た。本丸の周囲は櫓と多聞で囲まれて万一に備えられていた。
松の廊下跡

天守閣跡
本丸の大奥跡の先に天守閣跡の石垣が見えてくる。最初の天守閣は、1607年、二代将軍秀忠の代に完成したが、その後大修築され、1638年、三代将軍家光の代に、江戸幕府の権威を象徴する国内で最も大きな天守閣が完成した。

外観5層、内部六階で、地上からの高さは58mあった。しかし、わずか19年後の1657年、明暦の大火(振袖火事)で、飛び火により全焼し、以後は再建されなかった。

天守台に登ると改めて江戸城の規模の大きさに驚く。当時は江戸を一望のもと遠くは富士山、筑波山を望むことができたであろう。

 天守台をあとにして、北桔橋門を左に見ながら梅林坂を下って二の丸、平川門方面へと向かう。梅がたわわに実をつけてところどころに実が落ちている。1つ拾って記念に持ち帰る。平川橋を渡って内堀通りに出た。

■2003年5月17日 数年振りに東御苑を再訪して見た。中は殆ど変わってないが自分の所有するカメラが格段の進歩を遂げている。その目で撮ったのがこの画像である。



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