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兼六園

その1

水戸偕楽園、岡山後楽園とならぶ日本三名園の一つ、兼六園。

 兼六園は江戸時代の代表的な大名庭園として、加賀歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられてきました。
「廻遊式」の要素を取り入れながら、様々な時代の庭園手法をも駆使して総合的につくられた庭です。廻遊式とは、寺の方丈や御殿の書院から見て楽しむ座観式の庭園ではなく、土地の広さを最大に活かして、庭のなかに大きな池を穿ち、築山を築き、御亭(おちん)や茶屋を点在させ、それらに立ち寄りながら全体を遊覧できる庭園です。いくつもの池と、それを結ぶ曲水があり、掘りあげた土で山を築き、多彩な樹木を植栽しているので、「築山・林泉・廻遊式庭園」とも言われています。

 その思想とは神仙思想。大きな池を穿って大海に見立て、そのなかに不老不死の神仙人が住むと言われる島を配します。藩主たちは、長寿と永劫の繁栄を庭園に投影したのです。
(石川県金沢城・兼六園管理事務所 ホームページより抜粋)

 その兼六園へ 2月8日 大雪注意報の出ている中、バスツアーの一環で訪問した。残念ながら見学時間が90分と短く、のんびり散策とはゆかなかったが駆け足で雪の兼六園を拝見した。

小立野口より入り先ずは明治紀念之標を目指す。



 遥か彼方に日本武尊像が見えてきた。


明治紀念之標:

 中央に日本武尊像を、左に石川県戦士尽忠碑を据える明治紀念之標は、西南戦争で戦死した郷土軍人の霊を慰めるものです。銅像の身長は5.5m、明治13年(1880)日本で最初に建てられた銅像といわれている。両脇に植えられた赤松は「手向松(たむけまつ)」と呼ばれ、当時、京都の東西両本願寺の門跡から移されたものです。
 (石川県金沢城・兼六園管理事務所 ホームページより抜粋)

 

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