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宇佐神宮
その1 |
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2009年5月10日、郷里の実家より程近い全国四万余社の八幡宮の総本宮 宇佐神宮に行って見る。
日曜日にもかかわらず 9時過ぎと早いため、かつ、九州の片田舎に位置するためか観光客もまばらであった。
昭和初期までは表参道であった西参道から入り、呉橋(くれはし)の近くの駐車場へ。つい最近までは無料駐車場だったのに500円を取られてしまった。 |
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由緒;
全国四万余社の八幡宮の総本宮。宇佐の地に初めて八幡神が御示顕になられたのは、欽明天皇の御代で、御許山(おおもとさん:宇佐神宮奥宮大元神社鎮座)に顕れた。また同天皇三十二年(571年)に現本殿のある亀山の麓の菱形池の辺に神霊が顕れ、「我は誉田天皇広幡八幡麻呂(ほんだのすめらみことひろはたのやはたまろ)なり」と告げられたので、この地に祀られたのが宇佐神宮の始まりである。
その後、和銅元年(708年)、鷹居社が社殿として初めて造立され、霊亀二年(716年)小山田社に移り、神亀二年(725年)現在の亀山に移され、第一之殿が造立された。天平元年(729年)には第二之殿、弘仁十四年(823年)には第三之殿が造立され、現在の形式の本殿が完成した。
養老三年(719年)大隅・日向の隼人(はやと)が反乱を起こしたので、八幡神は託宣により神輿を奉じて日向まで神官・僧侶と共に行幸され、これを鎮めた。この隼人の霊を慰めるため天平十六年(744年)和間浜で「放生会(ほうじょうえ)」が行われた。これが全国各地の八幡宮で行われている放生会の起源となった。
国東半島では養老年間に八幡神の化神で、人聞菩薩(じんもんぼさつ)が開いたと言われる六郷満山(ろくごうまんざん)の仏教が開華し、中世には本寺・中寺・末寺の三山組織ができ、国東独特の山岳仏教文化が生まれた。また、天平十年(738年)聖武天皇の勅願で境内に神宮寺「弥勒寺」建立された。
東大寺大仏建立には全国的に協力し、「われ天神地祇を率い、必ず成し奉る。銅の湯を水となし、わが身を草木に交えて障ることなくなさん」、また大仏に塗る泥金が不足すると「必ず国内より金は出る」と、次々と託宣を発し、大事業も無事完成した。その開眼式に八幡神が招かれ、その後東大寺の守護神として手向山八幡宮が建てられた。このように八幡神は仏教と早くから融合し、「八幡大菩薩」の称号を賜った。
また皇位を狙う弓削道鏡の事件が起き、神護景雲三年(769年)に太宰主神中臣習宜阿蘇麻呂(だざいのかんずかさなかとみすげのあそまろ)は「道鏡を皇位につければ國平らかにならん」と八幡神の託宣があったと奏上した。その真偽を確かめるために和気清麻呂を勅使として宇佐へ遣わし、「我國は開闢以来君臣のこと定まれり、臣を以て君とするはいまだこれにあらず。天津日嗣(あまつひつぎ)は必ず皇緒を立てよ。無道の者よろしく掃除すべし」と、託宣をうけ道鏡の野望を退け、国体を鎮護することができた。これにより一層朝廷より崇敬されるようになった。
以来勅使は「宇佐使」と呼ばれ、天皇の即位奉告の勅使には代々和気氏が任命された。勅使参向が最も多いのは奈良・平安であるが、大正十四年以降は十年毎と定められ平成七年十月には第254回の勅祭が執り行われた。
宇佐の地方神であった八幡神が八世紀には朝廷と結びつき、国家神にまでなった。さらに貞観元年(859年)大和大安寺の僧行教が「われ都の近く移坐り、王城を鎮護せん」との託宣を受け、京都男山に八幡神を勧請して石清水八幡宮を建てた。後に鎌倉に鶴岡八幡宮が祀られ、弓矢八幡として武士の信仰も厚く、全国各地に八幡宮が祀られ、庶民からも親しまれる神となった。 |
(新人物往来社 『日本神社総覧』より) |
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呉橋:
10年に一度の勅使祭の時にのみ使用される県有形文化財の屋根付きの呉橋
中国の呉の人が架けたと伝えられ、現在の橋は1622年に修築されたもので、さらに1876年と1951年に大改修されている。
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上部は木造で、3基ある橋脚は石造。屋根は向唐破風(むこうからはふ)造で桧皮葺(棟は銅瓦葺)である。下は寄藻川。 |
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呉橋の内部。外部の色彩劣化に比してやはり内部は色鮮やかである。 |
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なお、これは最近2020年の呉橋の夜景。子供のころ(1950年頃)は宇佐地方でこんなに綺麗な星空は記憶にありません。 このごろは大気が綺麗になったようで こんな呉橋とのツーショットを見ることが出来ます。 |
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(画像提供;友人のご子息小松 潤平氏) |
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西参道から表参道に出る。表参道の入り口方向を望む。100mほど向こうに大鳥居が見える。 |
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清め所から表参道の上宮方面を望む。この辺りから参道は少し狭まり、両側はうっそうとした樹木に覆われてくる。 |
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9時を少し廻った時間であるが朝日が差し込み、木漏れ日が清々しい。 |
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表参道の大鳥居の両側に無粋な「参拝路」の表示看板が・・・・・・・ |
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ここから上宮までは階段を登ってゆく。 |
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階段を登ってゆき、若宮神社を横に見ながら行くと西大門(県有形文化財)に出る。 |
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