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鶴岡八幡宮

我が故郷宇佐にある全国四万余社の八幡宮の総本宮宇佐神宮の流れを汲む鶴岡八幡宮の歴史と現在を追ってみた。

先ず謂れを見ると
当宮は康平6年(1063)源頼義公が奥州を平定して鎌倉に帰り、源氏の氏神として出陣に際してご加護を祈願した京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺にお祀りしたのが始まりです。

その後、源氏再興の旗上げをした源頼朝公は、治承4年(1180)鎌倉に入るや直ちに神意を伺って由比ヶ浜辺の八幡宮を現在の地にお遷しし、 建久2年(1191)には鎌倉幕府の宗社にふさわしく上下両宮の現在の姿に整え、鎌倉の町づくりの中心としました。 また、頼朝公は流鏑馬や相撲、舞楽など、今日にも引き継がれる社頭での神事や行事を興し、 関東の総鎮守として当宮に厚い崇敬の誠を寄せたのです。 以降、当宮は武家の精神のよりどころとなり、国家鎮護の神としての信仰は全国に広まりました。 当宮への信仰を背景に鎌倉を中心として興った質実剛健の気風は、その後「武士道」に代表される日本人の精神性の基調となりました。 現在では国際的史都鎌倉の中心的施設として国の内外より年間を通して数多の参拝者が訪れます。

現在の御本殿は、文政11年(1828)、江戸幕府11代将軍徳川家斉公の造営による代表的な江戸建築で、 若宮とともに国の重要文化財に指定されています。 深い杜の緑と鮮やかな御社殿の朱色が調和する境内には源頼朝公、実朝公をお祀りする白旗神社をはじめとする境内社のほか、 静御前ゆかりの舞殿や樹齢千年余の大銀杏が八百年の長い歴史を伝えています。(出典;鶴ケ岡八幡宮ホームページ)


ここで京都の石清水八幡宮の謂れをさらにひもとくと
清和天皇が即位した翌年の貞観元年(859年)の夏、弘法大師空海の弟子であった南都大安寺の僧行教が宇佐神宮に参詣した折に「われ都近く男山の峰に移座し国家を鎮護せん」との神託を受けた。これを受けて、その翌年の860年、清和天皇の命により社殿を建立したのを創建とする。「石清水」の社名は、もともと男山に鎮座していた石清水社(現在は石清水八幡宮の摂社)に由来する(出典;フリー百科事典『ウィキペディア』

となり、これで宇佐神宮との関連がはっきりしてくる。


鎌倉鶴岡八幡宮のぼんぼり祭は毎年8/6-8/9に行われる。
鎌倉市内をはじめ全国の著名人から献納された書画が、約400基のぼんぼりに仕立てられ、参道に立てられている。

成人式には着飾った新成人たちのお参りがひきも切らない。

境内にある 牡丹苑では冬でも大輪を開かせる。


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