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談山神社の紅葉 / 多武峯(とうのみね) 1
秋の多武峯(とうのみね):2001年12月01日。秋晴れ。

飛鳥の東方にそびえる多武峰(とうのみね)の山中にたたずむ談山神社。


鎌倉時代に成立した寺伝によると、藤原氏の祖である藤原鎌足の死後の678年、長男で僧の定恵が唐からの帰国後に、父の墓を摂津安威の地から大和のこの地に移し、十三重塔を造立したのが発祥である。

680年に講堂(現在の拝殿)が創建され、そこを妙楽寺と号した。701年、十三重塔の東に鎌足の木像を安置する祠堂(現在の本殿)が建立され、聖霊院と号した。

談山の名の由来は、藤原鎌足と中大兄皇子が、645年5月に大化の改新の談合をこの多武峰にて行い、後に「談い山(かたらいやま)」「談所ヶ森」と呼んだことによるとされる。

平安時代には藤原高光が出家後に入山、増賀上人を招聘するなど、藤原氏の繁栄と共に発展を遂げた。鎌倉時代には曹洞宗本山永平寺の二世、孤雲懐奘(大和尚)が参学した。

平安時代に天台僧・増賀を迎えたことから、同じ大和国の藤原氏縁の寺院でありながら、宗派の違う興福寺とは争いが絶えず、鎌倉時代から室町時代にかけてはたびたび領地などを巡り争論を繰り広げていた。

1585年、豊臣秀吉により、郡山城下に移すことを厳命され破却、遷座。1560年に、帰山を許された。徳川家康により復興。

1869年に僧徒が還俗。談山神社と改称された。

仏教伽藍は現代も談山神社境内に見ることができ、登拝者も後を絶たない。明治の廃仏毀釈の際に寺を廃し神社のみとなったが、建物は寺院建築をそのまま使用しているため、独特の雰囲気を残している。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)


鎌足の長男が父の菩提を弔うために建てた塔は、再建だが木造十三重の塔として現在唯一の古塔。

塔を中心に本殿、拝殿、権殿、総社本殿などが配置されており、鎌足像を祭る本殿は三間社春日造。その華麗で繊細な造りは、日光東照宮の手本になったという。

本殿:藤原鎌足公を祭る旧別格官幣社。大宝元年(701年)の創建で聖霊院、多武峯社とも称す。現在の本殿は嘉永三年(1850年)造替の三間社隅木入春日造、朱塗り極彩色の豪華絢爛たる様式で世に名高い。
境内図


談山神社遠望:談い山

権殿と十三重塔

 

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