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大阪城

 かの有名な大阪城を平成11年10月に訪問。大阪城公園駅からグラウンドを通り抜けて玉造口から入る。ここは大阪城の東南の搦手口にあたる。ここは枡形を形成していたが建物は明治元年(1868年)の城中大火で玉造門を残して全て焼失した。その後陸軍の手で玉造門の撤去と石垣部分の変形がなされたので、現在は旧観がまったく失われている。玉造の名称は奈良時代からあった。玉造郡(宝石加工技術者)の集落がこの前方にあったことによるものとお言われている。
  天守閣が復元されている分、江戸城より迫力を感じる。
◇天守閣◇
 現在の天守閣は、昭和6年(1931年)に大阪市民多数の浄財をもとに、「大阪夏の陣図屏風」の豊臣時代天守閣図をモデルに、鉄筋コンクリート造りで復興されたもので、わが国の天守閣復興の第一号である。

 最初の大阪城天守閣は、天正11年(1583年)に豊臣秀吉によって創建されたが、大阪夏の陣(1615年)で焼失した。二代目は寛永3年(1626年)に徳川幕府によって現在の天守台の位置に築かれた。しかし寛文5年(1665年)に落雷で焼失した。現在のものは史上三代目にあたるものである。(城内案内板による)



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