TOP > 史跡散策 > 内藤新宿

ー新宿御苑ー


 史跡探索第2弾として、現在、私の勤務地 新宿一丁目界隈 の史跡探索を行ってみた。



 江戸の古地図では玉川上水が大木戸まで地上を流れてきてる様子やや、大木戸を一歩出ると下町、仲町、上町と続き、重宝院、天竜寺の前で甲州街道と青梅街道が分かれる"追分"など、また百人組屋敷に隣接して太宗寺などの文字が見える。

追分交差点の街角に 高札が掲げられていたのもよくわかる。


 四谷大木戸を後にして新宿一丁目の交差点(四谷区民センターの前)を左に行くとすぐに新宿御苑大木戸門がある。
新宿御苑 新宿御苑地図
新宿御苑案内図

駿馬塚
  徳川家康は江戸入府後、家臣の内藤清成を呼び、現在の新宿御苑一帯を示し、「馬で一息に回れるだけの土地を与える」と語ったという。

清成の乗った駿馬は、南は千駄ケ谷、北は大久保、西は代々木、東は四谷を走り、疲れ果て死んでしまったので、大樫の下に埋めたと伝えられている。

  後に内藤家の森林の管理役となった中家休昌と木下正敷が、文化13年(1816)8月に樫の古木の跡に塚を造り、駿馬塚の碑を建てた。

  碑はその後、明治5年(1872)九月に現在地「多武峯神社」(内藤町一番八号)に移されたものである。


  新宿御苑は上記の言い伝えのようにその昔、信州高遠藩主内藤駿河守の江戸屋敷で明治39年、今のような御苑が完成した。
 広さ58.3ヘクタール、周囲3.5kmの御苑はフランス式の整形庭園とイギリス式の風景庭園、それに日本庭園が巧みに組み合わされた和洋折衷の名園である。

 春の桜、初夏の緑、秋の菊・紅葉、冬の雪景。四季折々に豊かな自然とのふれあいが出来る緑のオアシス −新宿御苑ー

 (この項、主に新宿御苑パンフレッドによる。)

イギリス式庭園 フランス式庭園
日本庭園 



日本庭園


 特にプラタナスの並木を両側に4列ずつ配置したフランス庭園と、これに続く芝生広場は見所。 芝生広場には大きなユリノキが高くそびえ、のびやかで明るい風景が広がっている。 そして周縁に植えられた1,500本の桜が咲く春4月には、華やかな花の広場と化す。

  豊かに茂る御苑の木々は,20,000本を超え、中でも我が国に初めて移入されたユリノキ、プラタナス、ヒマラヤシーダー、ラクウショウなどの大木は、特色のある樹形をつくって、御苑の風格をいっそう重厚なものにしている。


 温室では熱帯・亜熱帯の多彩な花や珍しい草木1,700種が集められ、花と緑のあざやかな世界を繰り広げている。
オニバス 洋ラン
新宿御苑と甲州街道をはさんで反対側に花園公園がありその一角に 明治落語界落語の巨匠、三遊亭円朝 旧居跡の碑がある。

 

TOP > 史跡散策 > 内藤新宿