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日枝神社(から赤坂見附へ)

男坂より


 地下鉄丸の内線を国会議事堂前で降りて首相官邸前の坂を下って行く。現在新官邸の新築工事中である。まっすぐ降りて行くと斜め左前方にキャピタル東急ホテルが見える。

やがて山王さん日枝神社の参道に出る。


右の階段が山王男坂でキャピタル東急玄関方向へ行くのが女坂である。

日枝神社

 鳥居をくぐって男坂の階段53段を上ると山王台地(別名:星が岡)でありすぐ神門がある。
猿

神門の両側には随身像と神猿像が一対ずつ泰安されている。
本殿

砂利の敷き詰められた向こうが社殿である。参拝して社殿をあとにして外堀通りの方へ石段を降りて見附方面へ行く。

日吉山王権現社

 江戸山王の始元は遥かに鎌倉中期に遡るが、古記社伝によれば文明十年(1478)太田道灌が江戸の地を祖して築城するにあたり、守護神として川越の山王社から勧請した。

 やがて徳川家康江戸入城に際し、荒漠たる武蔵野開拓の要衝の地として城内の紅葉山に祀り国家鎮護の基とした。

その後、1600年初頭の江戸城大改造のとき隼町(現在の国立劇場付近)に移された。明暦三年(1657)の「明暦の大火」で社殿焼失するもやがて万治二年(1659)将軍家綱は、天下泰平、万民和楽の都を守護する祈願所を建立し奉る大志をいだき、現在地に結構善美を尽くした権現造り社殿を造営した。

これは太平洋戦争にて戦禍にあい焼失、現在の社殿は昭和33年6月に復興されたもの。

  山王社が現在の日枝神社となったのは明治時代になってからで日吉権現の元地である比叡山の名をとってつけられた。

  江戸の産土神(うぶすなかみ:生まれた土地の守り神)として将軍家の尊崇も厚く、山王権現の祭礼は毎年6月15日であるが、将軍の台覧もあって、天下祭と称され神田明神の祭礼とともに江戸の二大祭とされている。


山王権現の由来:

 山王権現とは滋賀県大津市の近江比叡山登山口に鎮座する日吉神社(日吉大社)を、天台宗側から呼んだ異称。最澄が、日吉神社を中国天台山国清寺の山王祠にならって、比叡山の地主神・守護神として祀ったのがその起こりと言われている。


新坂



山王グランドヒルの手前の道を右に入ると坂道である。
この新坂(遅刻坂)を登る。案内柱には官庁や坂上の日比谷高校へ急ぐ人が走って行くところからこの名前があると書いている。

三べ坂

メキシコ大使館、ヨルダン、レバノン大使館の間を抜けて参議院議長公邸に沿って青山通りに向かう坂を三べ坂という。

その昔、岡部筑前守、安部摂津守、渡辺丹後守の屋敷があったところからこの名前がある。
 青山通りに左折して見附方向へ向かう。相変わらず左は議院議長公邸であり、その隣は衆議院議長公邸である。この議院議長公邸の塀に「東京女学館発生の地」の銅版が埋め込まれている。ここから青山通りを挟んで反対側に赤坂見附跡の案内柱がある。ここを後にして地下鉄丸の内線赤坂見附駅に向かう。

参考文献
タイトル
著者(監修)
 出版社
図説 大江戸 知れば知るほど  小木 新造 実業の日本社
江戸東京学事始め 小木 新造 筑摩書房
江戸古地図散歩  池波 正太郎 平凡社
江戸切絵図散歩 池波 正太郎 新潮社
江戸いまむかし謎とき散歩 江戸を歩く会 廣済堂出版
江戸切絵図で歩く広重の大江戸名所百景散歩 人文社

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