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三社権現社&浅草寺(向島から浅草へ)

浅草寺付近
 連休明けの平成12年5月8日、五月晴れのなか向島百花園から長命寺経由隅田河畔を通って吾妻橋から浅草寺のルートを散策した。


向島百花園

オキナグサ 文化元年(1804年)に骨董屋を営む佐原菊塢(きくう)が造園。江戸の町人文化華やかなりしころ、文化人が多くの野草を集めて植栽した文人趣味豊かな庭園。「四季百花の乱れ咲く園」という意味で、早春の梅、水仙、福寿草から始まり春、夏、秋の山野草、秋の萩などの植物を植栽し、四季それぞれの花の野趣にみちた庭園となっている。

 現代に残る江戸時代花園唯一のもので、昭和53年10月に文化財保護法により国指定の名勝・史跡に指定されている。

 入り口に「きょう咲いてる花」として、かたばみ、おどりこそう、すみれ、みやこわすれ、あやめ、こばんそうなど46種類が表示されていた。

園内を散策するも、そこいらの原っぱで草花がちらほらあるイメージであんまりぱっとしない。大船のフラワーセンターなどは四季折々の花が咲き乱れているがそのイメージからするととても地味である。さつきやふじも終わってかすかにあやめが咲いている程度で、素人受けしない。こと甚だしい。


 園内には福禄寿尊堂、日本橋石柱などのほか、山上憶良、松尾芭蕉の歌碑などがあった。
ミヤコワスレ ニワゼキショウ
アヤメ シャクヤク

長命寺の桜餅

 百花園を後にして隅田川沿いの長命寺の近くにある「櫻茶や」まで歩いて昼食をとる。お腹がいっぱいになったところで長命寺の茶屋(売店)にて名物の桜餅をお土産に買う。

長命寺(弁財天)
 三代将軍徳川家光が鷹狩の途中、急病となり、この寺に立ち寄って寺の井戸水を飲んだらたちまち治ったので、長命寺の寺号が与えられた。天台宗に属し、阿弥陀如来を祀る。境内には松尾芭蕉の句碑や、十返舎一九の狂歌碑がある。


 売店にてお茶をご馳走になり、そのまま隅田河畔に出る。ここを下って吾妻橋から浅草寺へ向かう。
途中桜橋のたもとで散歩中のプードル犬親子3匹に出会う。とても人馴れした犬でしばし抱かせていただいて記念写真に収まる。

対岸を眺めながら隅田川を下る。言問橋を過ぎると左手に隅田公園がある。東武線の鉄橋の下を通って吾妻橋に出てこれを渡って東武浅草駅前に出る。

雷門
そのまま浅草通りを進むと右手に雷門が見えてくる。ここを右折して仲見世通りに入る。ウィークデイなのに結構な人出で仲見世ある。

修学旅行生、外人などが目に付く。両側に土産物店がずらりと並んでいる。適当にひやかしながら参道を進んでゆく。

浅草寺&三社権現社&三社祭
ー 浅草寺 −
 西暦628年(推古天皇の時代)浅草浦の漁師檜前浜成、竹成兄弟が網で高さ一寸八分(5.94センチ)の純金製の像を拾い上げた。土地の文化人土師中知(はじのなかとも)によれば聖観世音菩薩の尊像とのこと。この像にお祈りして漁に出かけると不思議に大漁となったので、土師中知はその後仏門に入り、自宅を寺にして兄弟が安置した観音像を奉安し、供養して、住民の教化に生涯を捧げた。このお寺が「浅草寺」の始まり。

ー 三社権現社 ー

 土師中知の死後、その嫡子の夢枕にたった観世音が「汝らの親は我を海中より上げて護持し、慈悲を万人に施し、その威徳供養の力は賞賛すべきで、観音堂の傍らに、神として親たちを鎮主すべきである」とのお告げがあり、これに従い三社権現社が創建され、この祭神の子孫は代々僧形で浅草寺および浅草神社に奉仕し社僧として三社の社務を分掌し庶民は親しみを込めて「三社さま」といった。

ー 三社祭 −

 三社祭は東京の祭礼のなかで赤坂山王、神田明神とともに江戸三大祭と言われている。三社の名は三社権現社からきており、祭礼は当初3月に行われていたが、5月の第3金曜・土曜・日曜日に行われるようになった。

宝蔵門をくぐって本堂の境内に入る。左に五重塔が聳えている。本堂に登ってお参りを済ます。

年の暮れの12/17-19はここで恒例の冬の風物詩"羽子板市"が開かれる。 

本堂 五重塔

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