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ガンダーラ仏教遺跡 (その1)




仏教遺跡として仏像は仏教世界各地に存在しています。

 今回(2016年7月26日)、偶然、甲斐小泉の平山郁夫シルクロード美術館にてこれらの一部を見る機会を得て、かつ、撮影OKとのことなのでじっくり撮ってきました。

◇ 仏像の起源:

 仏像とは もともとは、仏教を始めた釈迦の姿のこと。仏教の開祖・釈迦は、言い伝えでは紀元前6世紀頃に生まれた。

 当時のインド社会で主流であったバラモン教は祭祀を中心とし神像を造らなかったとされる。その他、仏教以外の宗教も存在したが、どれも尊像を造って祀るという習慣は無かった。釈迦が出生した頃の原始仏教もこのような社会的背景の影響下にあり、仏像はつくられていなかった。むしろ、仏像をつくる事はタブーとされていたようだ。

 タブーに触れずに、崇拝・礼拝・信仰できる対象として考え出されたのが,

 ・菩提樹:釈迦がその下で悟りを開いた
 ・法輪(ほうりん):釈迦の説法を象徴する
 ・仏足石(ぶっそくせき):足跡

を造ることだった。

 しばらくの間は仏足石などの釈迦の象徴によって表現され信仰されていたが、時間が経つにつれ信者達は実際の釈迦像を造り始めた。

 仏像が造られ始めた年代は紀元後1世紀後半〜2世紀頃で,そのキッカケは,異文化の影響が大きいといわれている。

◇ ガンダーラ仏教美術の時代背景:



 ガンダーラは、現在のアフガニスタン東部からパキスタン北西部にかけて存在した古代王国。

 カーブル川北岸に位置し、その東端はインダス川を越えてカシミール渓谷の境界部まで達していた。

 西北インドのガンダーラ地方と北インドのマトゥーラ地方(現在はパキスタン)に仏教が伝わると、仏像が盛んに造られるようになった。

 当時、インドでもっとも権力をもっていたクシャーナ王朝は,西北インドから中部インドにかけて広大な領土を支配していた。

 この王朝を築いたクシャーナ族は、インド人と同じアーリヤ系の民族でしたが、元々はイラン系の騎馬民族です。

 異民族、異文化であったため,従来のインドの「仏像をつくらない」というタブーに左右されなかったのかもしれない。

 またクシャーナ王朝の首都があったガンダーラ地方は、紀元前4世紀のアレクサンダー大王の侵入以来、間断的にギリシア人が支配していた地域でもあった。

 ガンダーラ地方は、クシャーナ族が統治する前から異文化、特に彫刻芸術で名高いギリシア文化と接していた場所であり、インド文化だけに縛られていなかった。

 つまりガンダーラの仏教美術とは、ギリシャ美術、ペルシャ文化に仏教が融合した結果であった。


◇ ガンダーラ仏像の特徴:

 ガンダーラでは、インド文化を基盤にヘレニズム文化の影響を受けて、ギリシャ的な風貌を持つ仏像が造られた。
その仏像の特徴は額・眉間に白毫(びゃくごう)があり、背後に丸い円盤のような光背を付けているなどが挙げられる。


◇ 仏像の伝播:

 ガンダーラの仏教美術は、仏塔や石窟寺院とともに、シルクロードを介してガンダーラから中央アジアを経由して東アジアへ伝えられた。
(「ACTIONなう!」  一般財団法人希望日本投票者の会 「知らないと損する仏像の歴史!」 より主に引用)

展示室入口の部屋にはご覧のように仏像がずらりと展示されている。平日でもあり、入場者はごく少数でじっくり撮影するにはには好都合であった。

 

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