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上田城跡

 真田本城を拠点として 真田幸隆-昌幸-信之・信繁(幸村)の三代に亘り、武田・上杉・北条・豊臣・徳川ら強豪の中で、時には従い、時には対峙し、遂には東信濃随一の武将に成長した。


上田城築城の必要性


上田城縄張り図:
 南方は千曲川の分流である尼ヶ淵に面した断崖に臨み、他の三方は城下町と河川を巧みに配して周囲一帯を極めて堅固な防御陣地としている。


先ず、「上田城復原模型」により、往時を偲ぶことにしよう。
このような鳥瞰であったろう。

しかし、真田氏の上田城は関が原の合戦後に徹底的に破却され、現存する上田城の隅櫓や石垣は寛永3〜5年(1626〜28)にかけて仙石忠政によって新たに築き直されたものである。


  さて、現実に戻って、上田城パンフレッドに従い、駐車場から右の朱線に沿って歩いて行こう。


     これは 南櫓-西櫓を見た眺め。

  旧尼ケ淵の遊歩道を通って 昔、二の丸と三の丸の間の堀であった けやき並木遊歩道へ向かう。



これがけやき並木遊歩道(二の丸堀跡)
  右の橋は、二の丸と三の丸に架かる 二の丸橋。

    けやき並木遊歩道から階段を登って 二の丸橋の上から 二の丸武者溜り方面を望む。

   二の丸の入口

 

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