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真田氏本城跡

東信濃・真田氏の歴史は・・・
(「真田宝物館」ホームページより引用抜粋します。)


真田氏の活躍は 幸隆 - 昌幸 - 信之/信繁(幸村) の三代で戦国・安土桃山・江戸時代を通して面目躍如となる。

   真田昌幸が上田城築城までのあいだ、真田の本拠であった 真田氏本城跡を訪ねてみた。

 武田信玄も落とせなかった砥石城。その乗っ取りに成功したのは先に述べたように真田氏中興の祖・幸隆であった。後に真田家を継いだ昌幸はその後上田城を築くまで、砥石城周辺を本拠地に勢力をのばし、信濃の小豪族からついには大名まで出世をとげる。

 その鳥瞰図をパンフレッドから転記する。
 真田氏本城跡周りの地形が良くわかる。

  見晴らしのいい小高い山の上に広がる真田氏本城。

  自然の地形を利用した巧みな築城技術がしのばれ、その規模や立地などから推定し、真田氏の本拠にふさわしい山城とされた。

縄張図 (東から見た図)
本郭 - 二の郭 - 三の郭 の文字が読み取れる。
本郭の左側に土塁がある。

     駐車場から土塁に向かう。

     少し向こうに芝生広場が見えてきた。

  折からの端午の節句に 鯉のぼりが泳ぐ 芝生広場。

     土塁はこちらからみると高さ約5メートル。






































土塁のふもとには説明パネルが・・・

歌碑

真田氏本城

山嶽幾重か陣営連なる
縦横の布置行兵緻なり
今朝錦繍一望遠し
覇業遥かに思う古本城









本郭への登りに お地蔵さまが・・・

右のこんもりした所は土塁。

        安政二(1855年) の文字が読める。






土塁 
   ;本郭から約2メートルの高さ。

   本郭
     ;東西8.6メートル、南北37メートルの広さ。

  この城は松尾新城、住連寺城、十林寺の城山などとも呼ばれます。

  本郭からの眺め。
  これで真田氏本城跡を後にして、上田城跡へ向かう。

 

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