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石垣山一夜城跡(その1)

 平成26年NHK大河ドラマ「軍師・官兵衛」にちなんでわが故郷 大分県宇佐市近辺の城跡を中心にゆかりの地の探索してみた。

 それは 豊後の富来城跡杵築城、豊前の高森城跡中津城、筑前福岡城跡肥前名護屋城跡(おまけとして肥前の唐津城)、黒田家墓所と光雲神社である。

 更に続編として豊臣秀吉天下統一最後の戦いが行われた 相模国 小田原城攻めに築城された 石垣山一夜城跡を探索したので報告する。

小田原城から石垣山一夜城までは みちのり3.6km、直線距離にしておよそ3km強、まさに指呼の距離である。

小田原城天守閣から石垣山一夜城方面を望む。 この場所に突如 石垣山一夜城が出現した。


拡大してみる。

鉄塔の左側の一段と高くなってるところが石垣山一夜城のあったところである。

この城が、世に石垣山一夜城または太閤一夜城と呼ばれるのは、秀吉が築城にあたり、山頂の林の中に塀や櫓の骨組みを造り、白紙を張って白壁のように見せかけ、一夜のうちに周囲の樹木を伐採し、それを見た小田原城中の将兵が驚き士気を失ったためと言われている。


豊臣方の水陸15万の大群による攻囲図

 石垣山は、本来「笠懸山」と呼ばれていましたが、天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原北条氏を水陸15万の大群を率いて包囲し、その本陣として総石垣の城を築いたことから「石垣山」と呼ばれるようになった。

公園面積 :約5.8ヘクタール


 

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