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宇佐海軍航空隊跡 (その2)
〜 特攻隊基地のあった街 〜

 近くの和間海浜公園からの国東半島越しの朝陽

こちらは中津・耶馬溪方面で 八面山を臨む。

戦後70年、今、宇佐航空隊跡はのどかな水田地帯。


現在ある道路とほぼ同じ位置に、 長さ1800メートル、 幅80メートルの滑走路があった。

このモニュメントは隊員が帽子を振って 特攻機を見送った場所だと言われている。
空爆の傷跡を残した建物の案内標識。

これは落下傘整備所の建物。

レンガ壁のあちこちに爆撃の弾痕跡が残っている。

飛行場電信室跡。

このように半地下構造をしていた。

米軍の爆弾により出来た穴への案内板。 

爆弾池と 称して、平和を願う所有者の強い思いから今も残してある。
終戦当時はこんな穴があちこちにあったが 飛行場を水田に戻すときに次々と埋められた。

零戦の掩体壕(城井1号掩体壕)

 航空隊の飛行機を 敵の攻撃から守るために造られた小さな格納庫。
 掩体壕は木材等を組み上げて型枠を造り、その上部に鉄筋を組んでコンクリートで固めて造る方法と、土を小山の様に盛り、その上をコンクリートで固めた後、中の土を掘り出して造る方法。また、その両者を併用する方法とがある。

城井1号掩体壕。

史跡公園として保存している。

国東沖から引き上げられた零戦のエンジンとプロペラの残骸、地面には零戦の原寸大の影が表示されている。

壁には千羽鶴が・・・

掩体壕の脇に立てられた鎮魂碑。

掩体壕は現在10基が残存しているが ご覧のようにほとんどは民間の倉庫として使用されている。

 これは駅館川(やっかんがわ)河口の長洲に残存する海軍桟橋。
宇佐海軍航空隊のカッター訓練用に使われていた。
 これらはわが故郷の痛ましい負の遺産である。
 この事実を厳然と受け止め、2度とこのようなことの起きないよう後世に伝えていきたいものだ。

 

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