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宇佐市平和資料館 (その2)



番号52 の赤い四角が 零戦用掩体壕。
 
 昭和19年12月30日の米軍偵察写真。

この時点では滑走路は長さが1150メートルだったようだ。

   1941年12月8日 日米開戦


  米軍機 B29の行動半径
   1944年、米軍は中国の成都に部隊を派遣、九州北部が往復で飛べる距離となった。
  1944年7月のサイパン陥落で、日本の主要部が行動半径内になった。終戦までに1,000機が基地に集められた。
(出典:朝日新聞)
(出典:朝日新聞)

 実話;
 宇佐海軍航空隊は1945年3月18日から8月8日にかけて「B29」11〜30機による4回、および艦載機138機など合計10回の空爆を経験した。(といっても1歳前後ですので当然覚えてませんが・・・・)
 幸い実家は無事でしたが、母は姉、兄の手を引いて私を負ぶって防空壕へ・・・・

 空爆から1週間後に日本は無条件降伏したんです。

 以下、展示品を ランダムに紹介します。



中根 久喜中尉の遺書など。

 

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