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宇佐市平和資料館 (その1)
〜 「永遠の0」ゼロ戦 搭乗機 〜

 宇佐市平和資料館では、宇佐海軍航空隊の歴史や宇佐への空襲、宇佐から出撃した特別攻撃隊、市内の戦争遺跡について解説。加えて、実物大の零戦21型模型(映画「永遠の0」で実際に撮影に使用したもの)を使って、当時の戦闘機の大きさなどを肌で感じられる展示を行っている。

 ここでは 「永遠の0」ゼロ戦 搭乗機 を主体に資料館の中を紹介する。

 宇佐海軍航空隊の場所は大分県宇佐市の 周防灘に面した宇佐平野の駅館川(やっかんがわ)河口付近、出来たのは 昭和14年(1939)10月。
 この地が選ばれた理由は「瀬戸内型の穏やかな気候で、風向きが飛行機の離着陸に適していたこと」、「周防灘や国東沖、別府湾、豊後水道を利用しての訓練空域に恵まれていたこと」、「物資輸送のための駅が近いこと」、「近くに、国家の保護を受けた格式の高い神社である 宇佐神宮があり、士気を高めることができたこと」、「広い田園地帯で地価が安かったこと」など。
 宇佐航空隊は、茨城県の霞ヶ浦などの航空隊で ひととおりの飛行訓練を終えた兵士たちが、実際に戦争に使う飛行機で 訓練の総仕上げをするところだった。そのため、全国各地から 若い兵隊が集まり、宇佐航空隊などで訓練した人たちが真珠湾攻撃に参加した。
 滑走路は、はじめ 幅が30メートル 、長さが1150メートルだったが、後に 幅が80メートル、長さが1800メートルに拡げられた。

 昭和16年(1941)に 太平洋戦争が始まり、昭和20年 沖縄が戦場になると、それまで訓練するだけの飛行場だった「宇佐航空隊」は、特攻隊の基地となった。アメリカ軍を日本本土に上陸させないために、沖縄近海に集まっていた敵の飛行機や船を、特攻機によって撃破しようとしたのだ。
 宇佐航空隊には、一番多い時で150 機の特攻機が集められた。

 下に当時の航空写真を示す。くしくもここから約2kmの位置に我が実家があり、平和資料館は宇佐航空隊を挟んで反対側にある。

 現在ある道路とほぼ同じ位置に、 長さ1800メートル、 幅80メートルの滑走路があった。
このモニュメントは隊員が帽子を振って 特攻機を見送った場所だと謂れている。

 『永遠の0』(えいえんのゼロ)は、百田尚樹氏による日本の小説、またそれを原作とした漫画・映画。

 旧日本軍の腕利きのパイロットであり、生き延びることに執着しながらも終戦間際に特攻で出撃することを選んだ主人公の人生を、現代を生きる彼の孫が解き明かしていくという物語である。

 映画も大ヒットして2015年2月の「第38回日本アカデミー賞」で「最優秀作品賞」「監督賞」「主演男優賞」など全8冠に輝き、興行収入87.6億円と大成功を収めた。

 これは宇佐平和資料館を訪れたときの漫画「永遠の0」(原作:百田尚樹、双葉社)の作画家 須本壮一氏のサイン。

  さて、いよいよ本題。
  宇佐市では戦争資料を収集続け、本格的な平和ミュージアムの建設を目指しています。平和資料館はそれに向けたスタートであり、戦争の悲しさと平和の尊さを学ぶ場として多くの皆様にご利用いただけるように平成25年(2013)6月29日に開館

 その目玉として、映画「永遠の0」の撮影に使用した 主人公宮部久蔵少尉の搭乗機 ゼロ戦21型 721-61号を購入、展示している。


 製作したのは埼玉県の拒裄V製作所。

 主人公宮部久蔵少尉が特攻に出撃する際、撮影に使用した零式艦上戦闘機21型の原寸大模型。

 全長9.05m、幅12m、高さ3.51m。細部にわたり精巧に再現されている。





 零式艦上戦闘機は、戦闘機としては前例のない3,000kmを越える航続距離や、時速500km以上の高速と軽快な運動性で真珠湾攻撃などの海軍の作戦を支えた。


    尾翼には神雷部隊を示す「721」の番号が記されている。

 

 撮影に使われたコックピット

 

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