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名護屋城跡(その1)


 平成26年NHK大河ドラマ「軍師・官兵衛」にちなんでわが故郷 大分県宇佐市近辺の城跡を中心にゆかりの地の探索してみた。 その第6弾 「名護屋城跡」を紹介します。

 名護屋城は豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に際して出兵拠点として黒田官兵衛の縄張りで築かれた城で、本丸を中心に二ノ丸、三ノ丸などを置いた三段の渦郭式だった。
 築城は1591(天正19)年に始まり、九州の諸大名を中心に動員、割普請によって突貫工事で8か月後の文禄元年(1592年)3月に完成し、1592年の開戦から秀吉の死で諸大名が 撤退するまで、7年間、大陸侵攻の拠点となった。


 
 城の面積は約17ヘクタールにおよび、当時では大坂城に次ぐ規模を誇り、周囲には130以上に上る諸大名の陣屋が構築され、全国から20万人を超える人々が集った。




古地図
  『浅野文庫所蔵 諸国古城之図』


 さてそれでは城門跡から順次めぐって天守台まで行って見よう。
先ずは観光案内所から大手口へ
 城跡の入り口、左の建物が観光案内所。

観光案内所から大手口へはこのような広場になっている。

大手口への道すがら 時代考証として名護屋城と文禄・慶長の役のパネルがある。
先ず背景を理解してと・・・

なんと、なんと130以上の大名陣跡。こうやって地図に表すとその凄さがわかる。

 さて大手口にさしかかる。

ここが大手口



大手口の櫓台を内側から見たところ。

   櫓台に登って 登城坂方向を・・・・



少し石仏に近づいて登城坂方向を望む。



三ノ丸(左の石垣の上)を望む



登城坂を登って 東出丸へ・・・

 

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