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「未完の城」新府城跡

(その1)

   南アルプス連峰が美しい韮崎市新府城跡付近
  おりからの桜/桃の季節に菜の花が色を添えて・・・

新府城の歴史:
1575年の長篠・設楽ヶ原合戦で大敗した武田勝頼は、一門衆の穴山信君(梅雪)の進言で甲府・躑躅ヶ崎館から、より要害の効く七里岩の断崖上に新城を築くことを決め、真田昌幸を普請奉行に任命したとされる。

 1581年に築城が始められ、そのわずか九ヵ月後の同年12月に普請なかばで入城した。

 しかし、武田勝頼が移り住んでたった68日、もう間もなく完成という1582年二月、木曾義昌の離反から織田・徳川の甲斐侵攻が始まり、未完の城では大軍を支えきれないと判断した勝頼は城に火を放ち落ち延びた。

 この時、岩櫃城に退くことを進言した真田昌幸の言を入れず、小山田信茂の岩殿城を目指したが、三月十一日、笹子峠で信茂の謀叛に遭い、岩櫃城を目指して天目山に分け入ったところを滝川一益の軍に遮られ、勝頼父子は自刃して果てた。

 新府城を「未完の城」と呼ぶのはこのような歴史から。

    これは 首洗池跡の端にある標識
 
 首洗池跡の岸辺のサクラ
  桃の花との競演

 首洗池跡の岸辺を覆う見事なサクラ

 

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