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6月下旬の北海道旅

(その3 小樽-1)

 今回の小樽散策は小樽運河散策路を北運河方向へ進み竜宮橋で引き返し、中央橋まで戻り、中央通を登り、旧手宮線(廃線)跡、JR小樽駅まで行き、都通アーケードを経て旧ウォール街を経て メルヘン交差点までと数多の歴史的建造物を見ながらの旅であった。

 その散策で数多の歴史的建造物(特に金融関係;下表参照)を目にしたので後刻、小樽の歴史を調べてみると

"20世紀半ばまでは石狩地方で産出された石炭の道外への輸送や、ロシアとの交易で栄え、1920年(大正9年)頃までは、108,113名と札幌の人口よりも多く、函館に次ぎ道内第二位の人口があった。

 しかし1960年代以降、石炭需要の低下と北海道内の炭鉱の閉山、ロシア貿易の衰退、太平洋側の苫小牧港や近隣の石狩湾新港の整備により港としての機能は衰え、人口も最盛期より35%も減少している。"

とのこと。

 すなわち大正時代後期から昭和初期にかけて小樽は 道央地区で堂々たる威容を誇っていたことになる。なんとなら、10万人ちょっとの人口でなんと10を越える中央銀行、都市銀行支店を擁したということから、当時の商都小樽の繁栄ぶりを偲ぶことが出来る。

人力車のえびす屋特製 小樽市街展望図

- 小樽運河 -

 小樽観光のメイン小樽運河は、大正12年に完成した港湾施設。海岸を埋め立てて造られており、船荷の積降しを行う際、船と倉庫をつないで作業を円滑にするという、大きな役割を果たしてきた。

 しかし、時代の推移とともに 樺太等との交易が無くなり、衰退した。

 1960年代になり 臨港線部分の運河半分を埋め立てて散策路やガス灯を整備、運河の両岸には煉瓦や札幌軟石で造られた重厚な倉庫群が立ち並び、往時をしのぶことが出来、小樽の代表的な観光スポットとなっている。

なお「北運河」と呼ばれる北部は、運河の幅が昔ながらの40メートルであり、作業船などの小型船が今も係留されている。



小樽倉庫No.2(右)と旧篠田倉庫(左)





旧篠田倉庫

建築年:  大正14(1925)年

構造:  内部の柱や梁を木で組み立て、外壁に煉瓦を積み立てる「木骨煉瓦造」2階建



竜宮橋より小樽駅を目指す。運河の対岸の道路を挟んで歴史的建造物(現在77件が登録されている)が散見される。

そのひとつ 旧大家倉庫
       
建築年  明治24(1891)年

構造  木骨石造1階建


概要
石川県出身の海産商大家七平によって建てられ、建物の妻壁に (やましち)の印があります。

外壁に札幌軟石を使用し、越屋根と入口部分の二重アーチが特徴です。その雄大さと独特の姿は運河地区の石造倉庫を代表するもののひとつです。

これは手造りガラスのお店。レトロ感の漂う佇まいである。

ホテル ルノルド小樽

  

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