TOP > 世界の旅 > アジア・オセアニア > '13 台湾紀行

九份 

その1 概要

 台湾はずいぶん南の亜熱帯の国と思っていたが、日本領土の琉球諸島を一緒に表示してみると、なんと台北は石垣島、宮古島より北に位置する。
 更には与那国島に至っては距離的に台湾西岸までの距離はほぼ石垣島のそれと同じである。

大きな地図で見る

 さて、九份は台湾北部、台北ダウンタウンからおよそ40km 台北県瑞芳鎮にある山あいの風光明媚な町である。

 その昔、九份は台湾の一寒村に過ぎなかったが、19世紀末に金の採掘が開始されたことに伴い徐々に町が発展し、日本統治時代にその最盛期を迎えた。そのためであろう九份の街並みは日本統治時代の面影を色濃くとどめており、当時の酒家(料理店)などの建物が多数残されている。

 しかし第二次世界大戦後に金の採掘量が減り、1971年に金鉱が閉山されてから町は急速に衰退。

 1989年、それまでタブー視されてきた二・二八事件を正面から取り上げ、台湾で空前のヒットとなった映画「悲情城市」のロケ地となったことで九份は再び脚光を浴びるようになる。

 ブームを受け、町興しとして観光化に取り組んだ結果、現在では街路にレトロ調で洒落た喫茶店や茶藝館、土産物屋などが建ち並び、週末には台北などから訪れる多くの人々で賑わっている。

 九份にはホテルがなく、宿泊施設は主に民宿である。
大きな地図で見る

九份の由来
 清朝末期の1890年ごろ、近くの山で金鉱を発見するまで九份には9軒の家しかなく、人口は10人に過ぎなかった。食料などは、山を下りてまとめて買うか、時々やってくる行商に頼っていた。物売りがやってきてどのくらい要るかと尋ねると、答えはいつも9戸分だった。これがまちを九份と呼ぶ由来という。

 九份の属する基隆エリアは台湾の東北部に位置していて、東北の季節風の影響を強く受け、特に10月~3月にかけて風力が強く、冬の長雨をもたらす大きな原因の1つとなっている。
降水量は年間3700ミリを超える。さらに、単純に降水量が多いだけでなく、雨天日数も非常に多く1年間の半分以上は雨が降る。

 なお基隆は台湾で2番目の貨物取扱量を誇る基隆港を抱え、台湾の貿易・物流の重要拠点である。

 奥に聳える山は基隆山。

九份は今日も雨。高台から霧雨に煙る基隆港方面を望む。

 九份は坂道や階段が多く、街は海を見下ろす山の斜面に広がる。
 海からの強い風に耐えられるように、ほとんどの家屋は山を背にして建っている。海風が強いため、建物は独特な造りで天井は木製のはりに板を敷き、その上に縦横2層にコールタールで黒く塗った油毛氈を張る。

 九份は  主な道の両側に、民芸品を売る土産物屋、しゃれた喫茶店、食堂や市場などが並ぶ。

 南北に主要道路の石段の豎崎路が通る。道は曲がりくねり、路地は薄暗い。映画やドラマのロケ、結婚写真の撮影などに使うのがこの一風変わった道である。

 豎崎路を北から、基山街、軽便路、汽車路の3本が東西に横切っている。

 最も賑やかなのは基山街である。幅3.4mのこの道は、昼間でも薄暗いため、暗街仔とも呼ぶ。

 軽便路は鉱石運搬用の軽便鉄道の廃線跡である。道はほぼ平坦で、車が通れる。軽便路を東に行くとトンネルに入る。高さが低い当時のままのトンネルである。



以下に 主に基山街(メインストリートかな) と 石段の豎崎路界隈に分けて紹介する。

 

TOP > 世界の旅 > アジア・オセアニア > '13 台湾紀行