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本土寺
(その1)

 千葉県松戸市平賀の本土寺は、もと源氏の名門平賀家の屋敷跡と伝えられ、建治三年(1277年)に法華堂として始まり、後に日蓮聖人より長谷山本土寺と寺号を授かる。

池上の長栄山本門寺、鎌倉比企ヶ谷の長興山妙本寺と共に、朗門の三長三本と呼ばれ、宗門屈指の大山として末寺百数十を統べ、 山内は四院六坊がとりまく十四間四面の本堂を中心に七堂伽藍がその山容を誇ったとか。
 
本土寺の本土とは「我此土(わがこのど)」つまり、お釈迦様が本当の佛、本佛となって住む国土「本土」に由来するそうな。
(本土寺 HP の縁起より抜粋)

本土寺 境内
(本土寺 HPより引用)





 参道を行くと先ず仁王門が眼前に現れる。

(間口三間半、奥行二間、木造瓦葺桜門式、慶安年間(1648から1651)の建築らしい。)

仁王門には 長谷山の額とその横には華美な彫り物が配置されていて、往時の隆盛が偲ばれる。

門の上部には 大数珠が掛けられている。

仁王門を振り返ってみたところ。

 訪問は11月27日午後2時を回ったところ。折からの午後の太陽を受けて紅葉が映える。

受付を入って真っ直ぐ行くと正面が本堂で 左側に 鐘楼と五重塔がある。五重塔の横には大きな銀杏の木が黄葉に染まっていた。

鐘楼は二間四面、茅葺。
梵鐘は建治四年(1278)の鋳造銘があるとか。


五重塔は平成三年(1991)に、日像菩薩六百五十遠忌記念として建立される。高さ18m。

本堂:
間口八間、奥行十間、木造銅板葺。
慶安四年(1651)に小金城主一族の恵了院日修が息女の菩提を祈って造立したと記録されている。


本土寺は開運、安産、乳出子育、学業増進、所願成就のご霊験で知られる名刹


本堂の横より鐘楼を望む

本堂への回廊の窓ガラスに映る紅葉

 

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