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 関ヶ原古戦場跡

 東大寺 修二会 の帰り道、天下分け目の大合戦が行われた関ヶ原に立ち寄る。関ヶ原の戦いは 数多くの歴史小説や合戦記など書物ではたびたび接しているが 実地はどんな様子なのか 昔から新幹線で通過するたびに思っていたので、丁度いい機会である。
 先ず名神高速道路を関が原ICで降りてちょっとの 歴史民族資料館に立ち寄り、情報を入手する。

 資料館の観光案内図である。道を挟んで目の前に"徳川家康最後の陣跡(床几場)がある。これを見て、その後、"決戦地""石田三成陣跡"を見ることにする。

徳川家康最後の陣跡(床几場)
国史跡 徳川家康最後の陣跡
 戦がたけなわになると、家康は本営を桃配山から笹尾山の東南一キロのこの地点に進出させました。
 ここで、家康は陣頭指揮に当たるとともに、戦が終わると、部下の取ってきた首を実検しています。
 周囲の土塁や中央の高台は、天保十二年(1841)に幕府の命により、この地の領主竹中家が築いたものです。 
                                                              関ヶ原町
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決戦地

石田三成陣地(笹尾山)
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 三成が陣地を敷いたこの場所は眼前に 東山道(中仙道)、北国街道/伊勢街道の交差する 窪地(関ヶ原)を俯瞰でき、さらには西軍布陣の天満山、松尾山、南宮山を望むことができ、戦局把握が容易に出来る場所とお見受けする。
 ここに予め布陣し、東山道を西に押し寄せてくる東軍を "鶴翼の陣(自軍の部隊を、敵に対峙して左右に長く広げた隊形に配置する陣形)"で待ち受ければ 三成でなくても 誰が指揮しても「必勝間違いなし」と思える地形であった。

手前の山が天満山、その向こうの山なみが松尾山か・・・・・

この平野部の彼方から家康がやって来た (桃配山方面)

     決戦地は 三成の目の前 数百メートルの地点

小早川秀秋らの裏切りにより、三成の大義も空しく 惨敗し、三成は北方へ落ちていった。

 

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