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 岐阜城(稲葉山城)

織田信長が 「天下布武」を目指して その拠点とした岐阜城。その栄華を垣間見ようと訪れてみた。

その歴史:
天文年間( 1532〜1554)に美濃の戦国武将斉藤道三が峻険な稲葉山(金華山;標高332m)に目をつけ、当時の稲葉山城を修築して居城とした。
 永禄4年 (1561) 斎藤龍興 若年で道三の跡を継ぐが、永禄10年8月(1565)織田信長に攻められ開城。織田信長が奪取した稲葉山城の縄張りを破却して、新たに造営したものが岐阜城である。
 天正4年( 1576) 織田信忠 父 信長の跡を継いで、岐阜の繁栄に尽くす。その後文禄元年( 1592) 織田秀信 安土城から移るも 関ヶ原の戦いで西軍に味方したため、慶長5年8月(1600) 徳川軍に攻められ開城、翌年廃城となる。天守閣、櫓、石垣等は加納城へ移された。



岐阜城天守閣は左下の金華山トンネルの位置を見ても判るとおり 峻険な山の頂上にあり、難攻不落であったろうことが偲ばれる。

金華山ロープウェイで 山頂駅へ。そこから歩いて二の丸跡へ向かう。

馬場跡:岐阜城の郭内では唯一の平たんな部分で、上格子門から幅3間(5.4m)、長さ30間(54m)続いている。





二の丸を出て少し上ると そこは天守閣である。



岐阜城資料館のいらか。

この辺りの間道を登ってきた木下藤吉郎の一隊が 岐阜城陥落の手柄を立てたという。




軍用井戸

岐阜城資料館遠望

長良川のうねり

 

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