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景勝の地 『耶馬渓』 を天下に知らしめたのは |
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文政元年(1818)、文豪頼山陽入溪、耶馬溪と名付し、耶馬溪図鑑記により、「耶馬の渓山天下になし」と全国に紹介された。 |
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菊池寛が「恩讐の彼方に」により、青の洞門「禅海物語」を大正8年(1920)中央公論1月号に発表した。 |
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大正12年(1924) 国の名勝地に指定された(史跡名勝天然記念物保存法) |
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昭和25年(1950)、耶馬、日田、彦山国定公園に指定される。 |
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等である。 |
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本耶馬溪 |
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本耶馬渓は、青の洞門や競秀峰を中心とする山国川上流一帯。 |
その全体を山国川上流側より俯瞰する。 |
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競秀峰の下を貫く隧道が 『青の洞門』。 |
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更に下流を見るとコンクリート橋、その先に石橋「耶馬渓橋(オランダ橋)」を望める。 |
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そのオランダ橋 |
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競秀峰の対岸には 毛蕨(けわらび)神社 の鳥居と狛犬があった。 神社は岡の上。 |
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