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長安寺 

- 国東・六郷満山 -

 2011年11月5日、小雨の中、実家から田染荘、六郷満山の一つ長安寺を訪れてみた。

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六郷満山:
 国東半島には、中央にそびえる両子山から放射状に伸びる谷筋に沿って、武蔵(むさし)、来縄(くなわ)、国東(くにさき)、田染(たしぶ)、安岐(あき)、伊美(いみ)の6つの郷が開け、六郷と呼ばれていた。

 また、国東半島の寺院群は、学問をするため本山(もとやま)、修行をするための中山(なかやま)、布教をするための末山(すえやま)の3つの群に分けられ、これらは合わせて満山と呼ばれていた。このことから、国東半島の寺院を総称して六郷満山と呼ぶようになった。

 今日でも、33の寺院と番外に宇佐神宮を加えた「国東六郷満山霊場」(国東半島三十三箇所)が構成されている。
                                            (出典;Wikipedia)




長安寺 由緒

 養老2年(718)仁聞菩薩の開基と伝えられる。

 平安末期、国東半島の六郷に佛教文化が花開いた。

 鎌倉時代、この寺が六郷山寺院の惣山としてとして最盛期を迎える。 学頭職や惣別当職がおかれ、満山百余ヶ寺約1千人の僧侶を統率、事あるに臨み国家の安泰、将軍家の隆盛を祈祷した。

 南北朝室町時代は武家の勢力に押されながら安土桃山時代、屋山城主 吉弘鎮信及びその子統幸は、長安寺の別当執行権を握り主軸となった。 仏神の恵みと武家の力は寺勢を増大、庶民信仰の霊場としても繁栄した古刹である。
 



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