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青森4大祭り

その2

3.五所川原 立佞武多


制作者:齊藤 忠大

題:「又鬼(またぎ)」

テーマ:
「感謝」
青森県・秋田県に跨る世界遺産『白神山地』。
その自然を、愛し守って来きたのが又鬼である。

 熊でも山菜でも、とるのではなく恵みを『授かる』『与えてもらう』。だから、全部もらって根絶やしにはしない。

 それは、又鬼が自らに掟を課し、山の神への畏敬とともに大自然への感謝の念を持ち、共に生きた証なのである。

 様々な伝統と文化にふれ、感謝する気持ちを持ち、これからの世代に伝えていかなければならないのではないだろうか…。


(「とことん青森MAX in 原宿表参道」HPより)




高さ23mにおよぶ立佞武多 





解説:

 山で熊を授かった又鬼が、帰路の途中、ひょっこり出てきてしまった兎に対して、「早ぐ逃げねば、おめとばも捕ってまるどぉ。行げ行げ。」(早く逃げないと、おまえも捕ってしまうぞ。逃げなさい。)と、睨みをきかせ、右手で追い払っている様子。

 欲張らない又鬼の優しさを表現しました。

(「とことん青森MAX in 原宿表参道」HPより)


 確かに 又鬼 の目はウサギを見下ろして目玉が下を向いている。

 右手は アメリカ風に手の甲を上にしてあっちへ行けと合図している。

 薙刀の下に見えるのが 授かった熊の足。


 背後に廻ってみるとなるほど授かった熊を 組み敷いている。

4.八戸三社大祭

製作者:夏坂 和良

題:「歌舞伎舞踊・壽菊薫縁羽衣(かぶきぶよう・ことぶききくかおるゆかりのはごろも)」

解説:
 古来、中国では奇数を縁起の良い陽の数とし、その数が重なることから一月七日を人日(じんじつ)の節句、三月三日を上已(じょうし)の節句、五月五日を端午(たんご)の節句、七月七日を七夕(しちせき)の節句、九月九日を重陽(ちょうよう)の節句とし、これを総称して五節句と呼び、それぞれ特別な行事を行なった。

 特に一番大きな陽の数の重陽の節句は重要なものとされ、また、この節句の頃に咲く菊の花はその馨しい香りから邪気を払い、不老長寿をもたらす薬として位置付けられました。

 重陽の節句は別名菊の節句とも言われ、やがて日本に伝わり、平安期には宮中行事の「重陽の節絵(せちえ)」となり、天皇をはじめ、公卿たちが宮殿に集まり菊の花を観賞しながら詩歌を詠んだり、菊酒を飲んだりして穢れを払い長寿を願ったと言われます。

 この舞踊は、今井豊茂 作、花柳壽輔 振付、常磐津英寿 作曲、後藤芳世 美術で、平成十六年九月に歌舞伎座にて行なわれました。

 一家の繁栄と故人の遺徳を称える祝祭歌舞伎舞踊であります。

(「とことん青森MAX in 原宿表参道」HPより)

〜山車場面〜
 天界の月宮殿の庭園には、数多くの菊の花が咲き乱れており、重陽の節句で菊の花の優劣を競う菊合せの宴が開かれている。

 天人天女を従えた天帝が鎮座し、「八重九重の菊讃え」と菊の花を愛で、「遊楽遊舞(ゆうらくゆうぶ)の詩を詠ず」と詩歌を作り楽しんでいる。

 そこへ東西南北を守護する四方の神、四神の白虎、青龍、朱雀、玄武が菊の宝物を携え祝いに現われる。

 又、天球を二十八に区分し、そこに輝く星座を象る宿星の童子も姿を現わし、天帝の長寿を祝い連舞となる。

 天帝は喜び一同に、薬酒、菊水を授け、一族繁栄、祝福を祝って幕となります。

 山車は創作を交え、天皇御一家に見立てての場面と致しました。天皇家の家紋は菊の御紋、八戸市の花は菊の花でもあり、その祝舞の場面であります。

(「とことん青森MAX in 原宿表参道」HPより)



 お囃子には 子供たちと もろ肌脱いだ 太鼓叩きが・・・・・・・・





みかえしの場面:

歌舞伎舞踊・君が代松竹梅


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