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瑠璃光院

 嵯峨野の民宿の女主人が、「今最高にはまってるのは"瑠璃光院"の紅葉」との話をお聞きして大原の帰りに寄ってみた。

 叡山ケーブルの "ケーブル八瀬駅"の方に車を進めるが、瑠璃光院方面へは一般車の駐車場は無い。幸い、すぐ手前に、元勤めてた大手電機メーカーの保養所があったので、そこに頼み込んで駐車させてもらい、およそ100m奥の瑠璃光院へ・・・・

由緒:

ここ「八瀬」の地は、「矢背」とも記されるように、壬申の乱で背中に矢傷を負われた大海人皇子(天武天皇)が「八瀬の釜風呂」で傷を癒されてより、平安貴族や武士たちに「やすらぎ」の郷として愛されてきました。

本願寺歴代門跡もしばしば訪れたと記録に著され、明治の元勲三条実美公は、当時の庵に「喜鶴亭」と名付けて直筆の命名額を下されています。(瑠璃光院に現存)

その後、大正末から昭和の初めにかけて、一万二千坪の敷地に延240坪に及ぶ数奇屋造りに大改築するとともに、自然を借景とした名庭を造営。

建築にあたった棟梁は、京数寄屋造りの名人と称された中村外二、築庭は、佐野藤右衛門一統の作と伝えられます。

その後現在まで、日本情緒あふれる名建築・名庭として多くの人々に親しまれ、囲碁本因坊位の対戦場となったことなどが知られております。

そして今、文化財の保護と公益を目的に、一般の方々にも公開する機会を持ち、皆様に「心のやすらぎ」を提供するに至りました。

(瑠璃光院 ホームページより)


臥龍(がりょう)の庭:

今にも天に駆け登ろうとする龍を水の流れと石組みで躍動的に表した池泉庭園。
佇む人の心を解き放ち、昇運の兆しをもたらします。(パンフより)

瑠璃の庭:

一面に苔の絨毯で覆われた当寺の主庭。苔の間をぬって一条のせせらぎが優美な曲線を描き、清らかに流れます。(パンフより)


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