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大原野神社

京都市西京区大原野南春日町にある神社。

 奈良の春日社(現・春日大社)から勧請を受けたもので、「京春日(きょうかすが)」の別称がある。その春日大社、京都の吉田神社と並んで、「藤原氏の氏神三社」のひとつに数えられる。また、春日大社から一番最初に分社されたとされる。

 大原野神社鎮座のあたりは古くから開けたところで、1万年以前の有柄尖頭器が神社の山の手から発見されている。

 延歴3年桓武天皇が都を奈良から長岡京(現向日市)に遷されたとき、天皇はしばしば大原野に遊んで鷹を放たれた。藤原氏の人や多くの供奉の人達はこの美しい風景を賞でて氏神春日大社の分霊を遷し祀ることにした。これが当神社の起りである。

 その後、約60年を経た嘉祥3年(850)に左大臣藤原冬嗣を祖父とする文徳天皇は冬嗣長年の願望を想い出して、壮麗な社殿を造営された。

 仁寿元年(851)初めて勅祭が行われ、春秋二季を例典とされた。はじめ藤原氏の一族では女が生まれると、中宮や皇后になれるように、この社に祈り、幸にして女が祈願通りの地位につくと美くしく行列を整えて参拝することが例となった。なかでも寛弘2年(1005)3月8日に中宮彰子が本社に行啓、御父左大臣藤原道長、紫式部以下がお供をした、その行列の絢爛さは、人々の眼をみはらせたと云う。

 また清和天皇の皇后藤原高子が、まだ皇太子の御息所であった時、当社へ参詣になり、供奉の在原業平が、「大原や小塩の山もけふこそは 神代のことも思い出づらめ」との和歌を詠じて奉ったことは、有名である。

 このように由緒正しく、また栄えた神社であったので、六国史、大鏡等は勿論、源氏物語、その他有名な古典には当社のことがしばしば書きとどめられている。

御本殿の第一殿には建御賀豆智命(たけみかづちのみこと)、第二殿には伊波比主命(いわいぬしのみこと)、第三殿には天之子八根命(あめのこやねのみこと)、第四殿には比賣(ひめ)大神が祀られ、摂社若宮社には天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)を祀っている。古くから政治・方除・知恵の神として、また良縁を授けて下さる女の守護神としての信仰が篤い。
    (大原野神社ホームページより)




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