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光明寺
(その1)


由来:

西山浄土宗の総本山光明寺は、長岡京市西山のふもと、粟生広谷にあります。宗祖円光大師法然上人が御歳43歳の時、日本で最初に念仏の産声を上げられた立教開宗の地であります。

承安五年(1175年)浄土宗を開かれた法然上人はこの粟生野の地で初めて念仏の法門を説かれたのです。

文治元年(1185年)に、かの源平の戦いで有名な熊谷次郎直実が戦いの明け暮れから、積もる罪業を償い極楽往生の道を求めて法然上人を訪ね、弟子となり剃髪し、法力房蓮生と名付けられ、数年のご修行の後 建久九年(1198年)に、法然上人ゆかりの地、粟生広谷に寺を建て、法然上人を勧請して入佛落慶法要を営み、開山第一世と仰ぎ、自らは二世となり、上人からは「念仏三昧院」の寺号を頂きました。
これが光明寺の発祥です。

第三世幸阿上人の時、建暦二年(1212年)正月25日、法然上人がお亡くなりになりました。晩年は奈良、叡山の古い教団から迫害を受け、滅後の嘉禄三年(1227年)には叡山の衆徒が大谷の墳墓を暴いてご遺骸を鴨川に流そうと企てたので、上人の遺弟達は秘かにご遺骸の石棺を嵯峨に移し、更に太秦の西光寺に移しました。

翌安貞二年正月20日の夜、上人の棺より数条の光明が放たれ、南西の粟生野を照らすと言う奇瑞が現れましたので、同月25日ご遺骸をこの粟生野の地で荼毘に付し寺の裏山にご芳骨を納め御廟堂を建てました。この時の奇瑞にちなんでこれ以後念仏三昧院は光明寺と称される事になりました。
(光明寺 ホームページ抜粋)

"長岡京の光明寺は紅葉の見事さで、紅葉の名所ぞろいの京都でも屈指の素晴らしいところ"との触れ込みを見て訪問。

 総門をくぐって ゆるやかな階段を登ってゆく。
総門




境内図








総門を入って表参道の両側にはうっそうと茂った楓や紅葉でまさに紅葉真っ盛りである。

正面が御影堂(みえどう) 左側に小さく鐘楼と法然上人像が望まれる。



法然上人像

御影堂(みえどう)の紅葉


勅使門前のもみじ三様


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