TOP > 史跡散策 > 湖東三山

百済寺
(その1)



 近江の最古級寺院で、今から1400年の昔、推古14年(606年)に、聖徳太子が百済人のために押立山(771.8m)の中腹に百済国の「龍雲寺」を模して創建された。

龍雲寺と百済寺のご本尊は、同一の巨木から彫られた「同木二体」の十一面観世音菩薩と伝わる。

開闢法要には、高句麗僧恵慈をはじめ百済僧道欽が仕え、暦を伝えた観勒も永く住したと言われている。


 その後、鎌倉時代には、「天台別院」と称され中枢部の300坊に加えて総計1000坊、1300余人を擁する大寺院となりましたが、室町・戦国時代には度重なる兵火、とくに天正元年4月11日に信長の焼討を受け、ルイス・フロイスは『地上の天国:Facusangi一千坊』の消失を惜しんでいます。


 江戸初期になって、井伊家、春日局、甲良豊後守等の寄進を得て現在の本堂・仁王門・表門等が再建されました。

(社団法人びわこビジターズビューロー ホームページより)




 境内図




 駐車場から表参道に出る。

 その参道の両側には老杉が林立し、支院跡の名残を残す苔むした石垣が続いている。


 表参道の途中に庭園本坊・喜見院の表門が見えてきた。



更に表参道を登ってゆく。


やがて仁王門に到る。



  仁王門の正面につり下げられた一対の大草鞋に触れると、身体健康・無病長寿のご利益があると昔から言い伝えられている。


本堂:

本堂は室町時代の明応7年(1498)に火災にあい、文亀3年(1503)に兵火をうけ、さらに織田信長によって天正元年(1573)全山焼失した。

 その後天正12年(1585)に堀秀政により仮本堂が建立。
のち天海僧正の高弟亮算が入寺し、堂舎再興の勅許を得て諸国に勧進し、江戸時代の慶安3年(1650)現在の本堂が竣工した。


本堂の向こうに鐘楼が見える。



本堂をあとに庭園本坊へ・・・・



楽々なだら坂(脇参道)を降りて行く

 

TOP > 史跡散策 > 湖東三山