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古知谷阿弥陀寺

 三千院から若狭街道の旧道をおよそ車で5分行くと山門横の駐車場に着く。

 更に参道をおよそ200mほど車で登ると10台ほどの駐車場があった。

 11月24日の今日は残念ながら既に紅葉は終わっていたがひなびた古刹には充分に見るものがあった。


阿弥陀寺の縁起

光明山法国院阿弥陀寺は、慶長十四年(1609)三月、弾誓上人が開基なされた如法念仏の道場です。

 弾誓上人は、尾張国海辺村に生まれた方ですが9歳の折に自ら出家し、美濃国塚尾の観音堂に参篭し、さらに同国武芸の山奥において念仏三昧、二十余年の修行を積みました。その後、諸国行脚で各地を廻って苦行修練を重ねた末、ついに佐渡ヶ島の壇特山において生身の阿弥陀仏を拝し得ました。そして、そこで授かったのが他力念仏の深義と、帰命十方西清王法国光明満正弾誓阿弥陀仏という尊号です。

 その後、上人は信濃国の唐沢山および相模国塔ノ峰において法益をすすめていましたが、ようやく時節が到来して、最後の修行の地、古知谷へ赴きました。

 古知谷に入った上人は、山中深く分け入り、岩穴に住し念仏三昧の日々を送っておりましたが近江国伊香立村の人達との御縁で、この地に一寺を建立し、本尊仏としては、上人が求め続けた人間としての理想像を草刈り鎌にて刻み、自身の頭髪を植え、これを本尊として本堂に安置し、寺の名を「光明山 法国院 阿弥陀寺」と付けました。

 弾誓上人は、この阿弥陀寺に在住して四年後の慶長十八年(1613)五月二十三日正午、六十二歳で入定示寂なされました。

 この弾誓上人におくれること百年、近江国平子山にあって念仏三昧を続けていた澄禅上人は、弾誓上人の行跡を慕って当山に入り、本坊から四町ほど上の岩穴にて常坐不臥称名念仏すること五年の後、享保六年(1721)二月四日に入定されました。時に七十歳。

 (古知谷阿弥陀寺 パンフレッドより)





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