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寂光院

 嵯峨野の宿を午前6時半に出発して 古知谷阿弥陀寺(9時開門)経由で寂光院まで来たが 未だ7時半ごろで寂光院開門午前9時には早すぎた。裏門から境内が垣間見ることができたのでその様子をご紹介します。

境内図

 当院は天台宗の尼寺で、山号は清香山、寺号を玉泉寺という。推古二年(594)に、聖徳太子が御父用明天皇の菩提を弔うために建立された。

 本尊は、聖徳太子作と伝えられる六万体地蔵尊(現在も重要文化財指定)であったが、平成十二年(2000)五月九日発生の火災により損傷したため収蔵庫に安置することとし、現在は財団法人美術院によって復元された本尊が、本堂に安置されている。


 初代は聖徳太子の御乳人であった玉照姫[敏達十三年(548)に出家した日本仏教最初の三比丘尼の御一人で、慧善比丘尼という]で、その後、代々高貴な家門の姫君らが法燈を守り続けた。

 第二代の阿波内侍(藤原信西の息女)は、崇徳天皇の寵愛をうけた女官であったが、出家のあと永万元年(1165)に入寺し、証道比丘尼となった。建礼門院に宮中より仕え、草生では大原女のモデルとされている。

 第三代の建礼門院徳子(平清盛の息女、高倉天皇の皇后、安徳天皇の国母)は、文治元年(1185)九月に入寺し真如覚比丘尼となった。そして源平の戦に破れて遠く壇ノ浦で滅亡した平家一門と、我が子安徳天皇の菩提を弔い、終生をこの地で過ごされ閑居御所とされた。

 本堂の右手裏山には、建礼門院大原西陵が所在し、五輪塔の仏教式御陵として珍しいとされている。

(寂光院ホームページより抜粋)

まだ閉まっている入り口の扉は菊の御紋章をかたちどったものである。それを通して参道を・・・・・・・・・・・




裏門に廻って境内の様子を見せていただく。
本堂と千年姫小松(御神木)。その向こうに 汀の池 が・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

汀の池と 平家物語に語られる「諸行無常の鐘」



本堂の右手裏山にある建礼門院大原西陵に登る参道

ここが建礼門院大原西陵





寂光院付近のたたずまい


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