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高尾山

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 関東山地の東縁に位置する山のひとつ。明治の森高尾国定公園に指定されている。

 中腹には、数多くの建物や文化財を有する高尾山薬王院の他、サル園や野草園がある。山頂には、展望台や高尾ビジターセンターがある。長さ1,697kmの東海自然歩道の起点でもある。暖温帯系の照葉樹林帯(カシなどの常緑広葉樹)と冷温帯系の落葉広葉樹林(ブナ・イヌブナ・ナラ・ホオノキなど)・中間温帯林(モミ・ツガなどの針葉樹林)の境界に位置するため植生が豊かであり、しかも都市部に近い割には比較的よく保たれている。

 高尾山は、東京近郊の行楽地として有名であるが、元来は修験道の霊場であり、現在は真言宗智山派大本山高尾山薬王院有喜寺の寺域となっている。

 1927年(昭和2年)には、日本百景に選定されている。また、2007年から連続して、ミシュランガイドで、最高ランクの“三つ星”の観光地に選出されている。

 山頂からは神奈川県相模原市などの街並や、遠く江の島などを眺めることができる。富士山の景観も素晴らしく、2005年には関東の富士見百景に選定された。冬至の前後数日間には、富士山の真上に太陽が沈むダイヤモンド富士を見ることができる。また八王子八十八景に選ばれている。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

高尾山口から 高尾山ケーブルカーの清滝まで行き、ケーブルカーに乗る。



急勾配の軌道を登ってゆくと、途中、中間点で離合するための線路がある。



更に登ってゆくとやがて都心のビル群が見えてくる。



最後にトンネルを抜けると終点 高尾山駅に到着する。

高尾山駅近くの展望台から周りを展望する。
真ん中右奥の高くかすんだビルは横浜ランドマークタワーである。その向こうは房総半島。



もう少し寄って見るとこんな景色となる。

都心方向の様子

更に左に振ると 筑波山を望むことが出来る。



薬王院へ向かう。午後3時を廻ったので帰路の観光客がいっぱい!
(浄心門にて)



男坂の108段階段




途中には うっそうと茂った杉の大木が・・・・・・・・・

山門の前の茶屋

高尾山薬王院:

 江戸時代から信仰の霊山として、また都民、近県の行楽地として広く知られています。

 標高600メートルの山中には山岳信仰の飯縄大権現を奉る薬王院の諸堂が点在し自然林のなかに深遠な山容を形成しています。紅葉の山、杉の山として親しまれ、鳥や草木の種類が豊富なことで大自然の宝庫といわれています。

 豊かな自然に恵まれているのは、高尾山が暖帯系の常緑広葉樹林と温帯系の落葉広葉樹林の境目にあたり植物の種類が多い事。また浄心門の近くに「殺生禁断」の碑があるように、あらゆる殺生を厳しく戒めるなど宗教的に保護され、さらに戦国時代は八王子城を最北の防衛線とする小田原北条氏、江戸時代は徳川幕府によって保護され、明治時代は御料林、戦後は国有林となり、最近では明治の森高尾国定公園に指定されるなど、時の権力者や政府によってさまざまな形で保護されてきました。

 山頂への手段としては、徒歩かケーブルカー、リフトがあり登山は容易で、年間の登山者は日本一に輝きました。東海自然歩道の東京側起点でもあります。

 正式名称「高尾山薬王院有喜寺」は744年に、聖武天皇の勅令により東国鎮守の祈願寺として、高僧行基菩薩により開山されました。

 薬王院の名は創建当初、薬師如来をご本尊とした事に由来します。現在は真言宗智山派の大本山として「成田山新勝寺」「川崎大師平間寺」「高尾山薬王院」が三大本山として知られております。

 南北朝時代の1375年には京都醍醐山より俊源大徳が入山し八千枚の護摩供養秘法の後、今のご本尊「飯縄大権現(いづなだいごんげん)」を奉祀し中興されました。

 戦国期、飯縄大権現は戦国武将の守護神として崇敬され、上杉謙信や武田信玄の兜表にも奉られ、また北条家の手厚い保護も受け江戸期に入ると徳川家(特に紀州家)との仏縁により隆盛をむかえます。

 古来、高尾山は修験道のお山といわれております。修験道を修める人のことを山に臥し野に臥しながら修行することから「山伏」と呼ぶようになりました。高尾山には、今もなお「琵琶滝」と「蛇滝」の二つの滝を擁し、滝修業の道場として、一般の方にも門戸を開いております。

(高尾山薬王院ホームページより抜粋)




四天王門

四天王門から鐘楼堂を望む

ご本堂

ご本社

天狗社と福徳稲荷社


ご本社の横壁

高尾山頂

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