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- 清澄庭園 -

歴史:

この地には元禄期の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷があったと伝えられる。享保年間には下総関宿藩主・久世氏の下屋敷となり、ある程度の庭園が築かれたと推定されている。

1878年、荒廃していた邸地を三菱財閥創業者の岩崎弥太郎が買い取り、三菱社員の慰安と賓客接待を目的とした庭園の造成に着手。1880年に竣工し、深川親睦園と命名された。三菱社長の座を継いだ岩崎弥之助は庭園の泉水に隅田川の水を引き込むなど大きく手を加え、1891年に回遊式築山林泉庭園としての完成を見た。なお、1889年には庭園の西側にジョサイア・コンドル設計による洋館が建てられている。

その後、1923年に発生した関東大震災で庭園は大きな被害を受けて邸宅も焼失したが、図らずも近隣住民の避難場所となり多くの人命が救われた。それを受けて1924年、三菱3代目社長の岩崎久弥は当時の東京市に庭園の東半分を公園用地として寄贈。市は大正記念館の移築(1929年5月竣工)や深川図書館の新館舎建設(同年6月竣工)など整備を進め、1932年7月24日に清澄庭園として開園した。

1973年に東京都は残る西半分の敷地を購入。翌年から整備を開始し、1977年に開放公園(清澄公園)として追加開園した。
(ウィキペディアフリー百科事典より抜粋)


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