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マウント・クック ビレッジ



さて、9日目の12月15日、ワナカの 「ささの木」を出て、次の目的地マウントクックビレッジへと出発。およそ200キロ強の道のりである。この日はひたすら走り、プカキ湖畔を北上し、マウントクックビレッジへ着いた。

 アオラキ/マウント・クック国立公園は、空に届きそうな高い山々をはじめ、数々の氷河や万年雪など、さわやかなアルプスの魅力を満喫できるところです。

 マオリ語でアオラキ(Aoraki)と呼ばれるマウント・クックはニュージーランドの最高峰で、エドモンド・ヒラリー卿が人類初のエベレスト山登頂を成し遂げる前に登山技術を磨いた場所としても知られています。

 南島のマオリの部族、ナイ・タフ族に伝わる昔話によると、アオラキは空の神ラキヌイの息子で彼には3人の兄弟がいました。

 アオラキと兄弟たちが海を渡っていたところ、カヌーが礁に乗り上げ、転覆してしまいました。カヌーの上によじ上った彼らに凍りつくような南風が吹きつけ、彼らを石に変えてしまいました。

 そのカヌーが南島となり、アオラキとその兄弟はサザンアルプスの山々となりました。その昔話から、南島はマオリ語で「テ・ワカ・オ・アオラキ(Te Waka O Aoraki:アオラキのカヌー)」と呼ばれ、最も高い山マウント・クックは「アオラキ」と呼ばれているということです。

 マウント・クックの村は、ニュージーランドでも最も厳しい環境の中にありながら、とても居心地のよい集落です。村の周囲八方にはサザンアルプスの高峰が空へとそびえ立っています。

 西海岸から直線でわずか44kmしか離れていないため夏でも天候は急変しやすく、タスマン海から急に嵐が到来し、登山家にとって危険な状態となることがあります。しかし、登山家でなくても、この地の素晴らしい風景は満喫できます。付近には、3時間ほどで往復できる遊歩道が数多くあります。

 また、タスマン氷河(Tasman Glacier)を訪れる遊覧飛行やヘリ・スキー(冬期)は、この地での滞在をより充実したものにしてくれるでしょう。

ニュージーランド 政府観光局公式サイトより引用)

 さて今日の宿舎は ザ・ハーミテージホテル管轄の マウント・クック・シャレー
中央右に見える建物がザ・ハーミテージホテルで マウント・クック・シャレーはこの道を左に入った奥である。

このこんもりとした林の右に見える屋根がマウント・クック・シャレー


山小屋風のユニットで泊まった部屋は4人用であった。

マウント・クック・シャレーの部屋の窓からは晴れていれば真正面にマウントクックを見ることが出来る特等の部屋であった。

 到着の日は曇り空で一面の雲と霧。時間は11時過ぎ、およそ8km先のタスマン氷河入口近くのブルー湖に出かけてみた。
 うーん、何も無い小さな湖。
ブルー湖からシャレーに戻り、明日からの計画など考えながら過ごし、近くのレストランでビュフェ形式の夕飯を済ませ、翌日に備えた。

翌日も雨模様。

とにかく、朝から フッカー・バレー トレッキング に出かけて、午後1時半過ぎにシャレー着。一休みして夕方5時半ごろ気がつくと外は晴れてきていた。

午後6時ごろになってマウント・クックにかかってた雲が少しずつ晴れてきた。これは期待できるぞと撮影場所を選びながら待つ。

どんどん雲が晴れていく。やがて午後6時10分ごろ背後に鳥状の雲かと思ってたものが少しずつ顕わになってきた。
なんと連立峰のもう一つの峰であった。(恥ずかしながらこのときまでマウントクックがこんな形だと知らなかった(・。・。;;)

その後10分ほどでどんどん雲が取れていって、頂上付近はくっきりとその姿を現してきた。

午後6時半ごろが一番晴れ上がってきた。

その後は左の山の雲がどんどん流れてきてまた雲に覆われ始めたので、この辺で切り上げて夕飯に向かった。

 今日の午前中の天気からして、半ばあきらめかけていたマウントクックの勇姿を見ることが出来、ビールの味も格別であったし、この分で行くと明朝も期待できるといい気分で眠りについた。


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