この庭は文化2年(1805年)ごろ北野屋平兵衛こと、佐原鞠塢(きくう)と云う粋人が当時の文人墨客の協力を得て梅を多く植えたことから「新梅屋敷」として創設したのが始まりとされています。
次いで日本や中国の詩の古典である「万葉集」「詩経」の中にある植物を集めて、文学植物を全園に配し、四季花絶えることのない花園として、江戸市民の嗜好にあい江戸時代から明治時代まで庶民的花園として栄えたものでした。
明治以後たびたびの洪水で園は荒廃し維持も困難になり、昭和14年東京市営の名勝として公開することになり、昭和53年10月13日には名勝および史跡に指定されております。 |