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浜 降 祭

由来:
浜降祭の起源については、諸説がありますが、古老のみなさんの話をまとめてみると、次のような説に集約されます。
 

  今から170年ほど前の天保9年(1838)、寒川神社の神輿が、例年春に行われる国府祭(こうのまち)【大磯町国府本郷】に渡御した帰途、相模川の渡し場で寒川の氏子と地元の氏子が争いを起こし、川に落ちて行方不明になってしまいました。
 
 その数日後、南湖の網元である孫七さんが漁の最中にこのご神体を発見し、寒川神社に届けたことを契機に、毎年同神社の神輿が、そのお礼のため南湖の浜に赴き、「禊(みそぎ)」をするようになったと言い伝えられています。

 一方、江戸時代後期に幕府がまとめた『新編相模国風土記稿』によると、鶴嶺八幡宮では、寒川神社のお礼参りよりずっと古い時代から、心身の罪やけがれを清める「みそぎ」の神事を行うため、毎年、浜辺への渡御が行われていたとあります。


 このように両神社の伝承は、古くから語り継がれ、それが後世になって合体して定着し、その後明治9年(1876)にこれまで旧暦の6月29日に行われていた「みそぎ」神事を新暦の7月15日と定め、名称も”浜降祭”と呼ばれるようになりました。

 また、平成9年(1997)には、例祭日を7月20日に変更しましたが、祝日の改正に伴い平成16年からは7月海の日(第3月曜日)に例祭日が再度変更となりました。
(茅ヶ崎市役所 ホームページより)

浜降祭の舞台、湘南茅ヶ崎海岸の朝焼け。波打ち際の一番左に明かりが見えるところが会場。正面は江ノ島。

 午前4時半、浜降祭会場は 茅ヶ崎漁港横の砂浜。神輿が着座する位置に幟がはためき、その向こうに江ノ島、更には三浦半島が霞んで見える。一番右の竹竿は三の鳥居。

茅ヶ崎、寒川の33神社(十間坂神明宮を入れると34)が参加、38基の神輿が夜明けまえの午前4時50分ごろから到着、一旦、海に入り、禊を行う。

2011年、1番基、2番基と順次浜に降りてくる。今年の諏訪神社はギャル達が元気一杯。私のカメラに向かってポーズを執ってくれた。なかなかの美女ぞろいで 一瞬、AKB48のメンバーかと・・・・・・・・・・・・・・

この日、富士は笠雲をかぶっていたが、朝日に映えて祭りを祝福していた。

この日は大型台風6号が西日本に近づき、波浪が荒く、白い波頭が岸に打ち寄せていたので、殆どの神輿は海での禊を断念。

これ以降は 2008年の禊の様子で、神輿ごと海に入り、禊をおこなった。

 

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