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-  東大寺・修二会  その1 -

東大寺・二月堂本尊の観音菩薩に罪障を懺悔し、世界平和、国家の安泰、万民の豊楽を祈る十一面悔過法要。


東大寺境内(主に二月堂周り部分)

 天平勝宝四年(752)より欠かさず行われてきたと伝えられる。2004年で1253回目を迎えた。練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる十一人の僧が行の主役となる。

修二会は「お水取り」の名で通っている。しかし、お水取りは法会の中の一つの行にすぎない。

 修二会は、旧暦の一月から二月にかけて行なわれていたが、いまは新暦二月から三月にかけて行なわれている。その修法は、奈良時代の東大寺別当実忠(じっちゅう)和尚(かしょう)が、笠置山(東大寺東方)の龍穴の奥深くに参入し、兜率天(とそつてん)の内院に詣でて、そこで菩薩聖衆が毎夜補陀落山(ふだらくせん)に登り、観音を礼拝する姿を見て、これを下界でまねたとされている。

 修二会は11人の参籠僧によって営まれる。これを練行衆と言う。
 法会はおこもりから始まる。二月二十日夕刻、練行衆が日常の自坊から戒壇院へと移る。これを「別火」坊と言い、ここにある火以外は一切使えなくなる。炊飯はもとより暖を取るのもだ。月末まで、おこもり、精進潔斎が続く。
 
 この別火坊で、本行のための諸準備が行なわれる。

 別火と称される精進潔斎も、二十六日からは「総別火」と呼ばれる段階を迎え、一層の厳しさを増す。紙衣(文字通りに紙製)を着用し、完全禁足(足を土につけない)となる。

 二月末日、いよいよ二月堂下の参籠宿所に入る。ここで「咒師」(しゅし)役が「大中臣祓」を行ない、幣帛を振る。なお、幣帛は練行衆各自にも配られ、常にこれで自らと身の回りを浄める。

 行は夜のものである。三月朔日深更、「お目覚」と触れ回る声で練行衆は一斉に起き立つ。参籠宿所前の食堂(じきどう)で「和上」の戒を受ける。その後、二月堂に上堂し、本行の開白(かいはく)となる。「一徳火」と言うが、漆黒の内陣に最初の燈明の火が灯される。

 「日中」と呼ばれる最初の行のあと、いったん宿所に戻り、夕刻より「日没」(にちもつ)の行となる。その後、二月堂を三角形に取り囲んで守る、興成社、飯道社、遠敷社の三社に法会開白、修二会発願を報告する。

 次の行は、その夜の「初夜」となる。すっかり夜の闇に塗り込められた宿所と上方の 二月堂を結ぶ石段下に松明が灯される。「童子」が松明をもち、これに練行衆一人が続く。順に松明と練行衆が一人ずつ上堂していく。「初夜」のあとは「半夜」「後夜」「晨朝」(じんじょう)と払暁近くまで、行は続く。

 修二会は「六時」(一日6回)の行を、14日間くり返すものだ。一日の流れをわかりやすく整理すると、次のようになる。

 9時頃、起床→ 正午過ぎ、正食(一日一回の食事)→ 上堂して「日中」「日没」の二行→ 宿所に戻り、斎戒沐浴→ 仮眠→ 松明上堂して「初夜」「半夜」「後夜」「晨朝(じんじょう)」の四行→ 就寝

 それぞれの行の長さは、最長の「大時」が初夜と後夜、次に「中時」の日中と日没、最短の「小時」が半夜と晨朝、となっている。また、日を追って、正式な声明や礼拝法から略式なものに変化するし、リズムやスピードも変わる。この六時を上下各七日(二七日・にしちにちと言う)行なう。上七日の本尊は十一面観音で、下七日の本尊も十一面観音だが「小観音」と通称される別本尊である(どちらも秘仏)。

 以上の上下各七日の中に、別プログラムが挿入されている。それが「過去帳」(聖武天皇や源頼朝から無名の下々まで東大寺の有縁者、今上天皇や現首相まで含まれる)の読誦、「走り」行堂と「香水」(こうずい)まき、そして「若水汲み」(お水取り)、「達陀」(だったん)妙法などである。

 三月十四日(十五日夜明け前)の最後の「晨朝」行のあと、破壇して、鎮守の三社に満行感謝の報告を行ない、めでたく結願となる。十五日満願の朝には、衣服を正し再び上堂して涅槃講を行じて万事終了である。
(「mansongeのニッポン民俗学 」"東大寺二月堂「修二会」に隠された「日本」" より 抜粋)

 【お水取り】
 3月12日、後夜の咒師作法(しゅしさほう)の中で(13日午前1時)、咒師は蓮松明という松明に照らされながら5人の練行衆とともに南側の石段を下りて閼伽井屋(あかいや 別名・若狭井)へ向かう。

 大勢の参拝者の見守る中、雅楽も奏され、おごそかに行列が進む。途中小さな神社に立ち寄り法要を営んでから数人の童子と閼伽井屋に入り香水をくむ。香水は閼伽桶とよばれる桶に入れられ榊を飾った担い台に載せられ内陣に運ばれる。香水は須弥壇下の香水壺に蓄えられ、本尊に供えられたり、供花の水として用いられたりする。

 この水は、若狭の遠敷明神(おにゅうみょうじん)が神々の参集に遅れたお詫びとして二月堂本尊に献じられたと伝えられ、今でも遠敷明神の神宮寺であった若狭小浜市の若狭神宮寺ではこの井戸に水を送る「お水送り」(3月2日)の行事が行われている。


境内を埋め尽くす参拝客。

混雑を整理するため竹矢来が組まれている。

当日の人出;
約三万人

悠々と様子を写生されるご年配の方。

 みごとな筆さばきでしばし見とれる。(上の画像と比べて見てください。)
 

 3月12日に使われる 籠松明
(他の日より一回り大きな松明:全長約8メートル、重さ約80キログラム)

 
通常の松明とは異なって事前に二月堂に持ち込まれる松明。形が菊の花紋様になっていた。

上の松明を持って二月堂に登る僧侶と従者。

3月12日は三万人ほどの参拝客が押しかけるため、ガイドを設けて一方通行としている。警備の警官も普段の十倍を動員したとか。




お松明上堂を待つカメラマンの群れ。

(300mほど離れた駐車場の一角:2010年より二月堂周りでの三脚、一脚の使用が禁止され、この場所がカメラマン席として用意されていた。)

常設カメラマン席から見た二月堂

 

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