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大河内山荘 その1

− 洛西の名園 −

 大河内山荘は百人一首で著名な小倉山の南面約二万平方米の荒地に、時代劇の名優大河内傳次郎(1898-1962)が、古都の霊峰に魅せられて、こつこつと創りあげた庭園です。

 フィルムではない、消えることのない美を求めて、昭和6年(1931年/34歳)から、64歳で逝去するまで、30年の歳月にわたり、映画の出演料の大半をこの庭に注ぎ込みました。

 この山荘は、単にスターの別荘というものではありません、傳次郎の生命を凝縮した創作であり、いのちをかけた創造の場でした。

 庭は借景庭園で、多くの赤松や四季を彩る桜やもみじにつつまれた大乗閣からは、嵐山を背に、霊峰比叡山、大文字、東山三十六峰、徒然草ゆかりの双ヶ丘が、また草庵風の茶室、滴水庵を少し登ると保津川の清流が眼下に見えます。

 これらは傳次郎が生涯求めてやまなかった禅の境地とでも申しましょうか、皆様にも是非この興趣を楽しんでいただければ、幸甚と存じます。
− 大河内山荘 パンフレットより -



 嵐山や嵯峨野には何度か足を運んだが、大河内山荘に行きそびれていた。今回、2004年11月5日、未だもみじにはちょっと早かったが立寄ってみた。

 山荘のパンフレットにあるように、絶好のポジションにあり、在りし日の大河内傳次郎氏のご苦労の跡がひしひしと感じられる素敵なところでした。どこまでそれを写し撮れたか疑問ですが先ずはご紹介致します。


 大河内傳次郎の十八番丹下左膳は「シェイは丹下、名はシャジェン」でとみに有名。
 調べてみるとなんと出身がお隣の福岡県豊前市大字大河内。
 なるほど単に "豊前訛り" が直らなかっただけなのか。


 独身のころから少しずつ土地を買い、読経のための小さな持仏堂から始めて本格的な数寄屋造りの母屋まで建て、石と樹木で庭を整えた山荘造りは、趣味を超えた生涯の事業になったとか。

ますます親近感が湧いて来た。


 入口を入ってうっそうとした林を登って行く







境内図



 石畳の道を中門に向かって更に登って行く


中門
中門をくぐって更に登って行くと 大乗閣がある。
小倉山を背に・・・・・・・        紅葉が美しい


途中は風雅な石畳の道

途中の高台から大乗閣を望む



滴水庵へ向かう道


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