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- 龍安寺  (Jun. 30, '03) -

徳大寺家の別荘だったのを、1450年管領細川勝元が譲り受けて寺地とし、妙心寺の義天玄承を開山として創建されたものである。

応仁の乱に焼失して、1488年勝元の子、政元が再興したが、1797年火災で方丈・仏殿・開山堂などを失った。

現在の方丈はそのとき西源院の方丈を移築したものである。方丈の前庭は枯山水式石庭として著名で、臨済宗妙心寺派に属し、大雲山と号し禅苑の名刹である。
ー 龍安寺 パンフより −


境内図

 寺院内へ誘うアプローチの脇を飾る「龍安寺垣」。特徴は透かしの部分に割竹を菱形に張っていることであり、菱形のデザインは柱やカーブにも対応しやすく、長い距離に適した竹垣といえる。
 このように、庭園の竹垣には寺院名を冠するものが多く、これらの優美な形状が、独特の美しさを醸し出している。


  庫裡を望む。


 本来は「寺の台所」という意味を持つ「庫裡」だが、禅宗寺院では「玄関」としている所が多い。

 禅宗寺院建築の特徴を捉えた木組と白壁からなる構成は、簡潔且つ重厚であり寺院全体と見事に調和している。



方丈

 石庭

  正しくは方丈庭園といい、国の史跡及び特別名勝に指定されている。幅25m、奥行10mの、約75坪の広さを持ち、庭一面には白砂が敷き詰められている。

 15個の石を東側から5・2・3・2・3と配置した代表的な枯山水の庭園であり、禅の美を極めた空間である。








蹲位(つくばい)

 中央の水穴を「口」の字に見立て、周りの四文字と共用し「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)と読む。

 これは、釈迦が説いた、「知足のものは、貧しといえども富めり、不知足のものは、富めりといえども貧し」という 「知足」(ちそく)の心を図案化した仏教の真髄であり、また茶道の精神にも通じる。

 また、徳川光圀の寄進とされる。

(龍安寺HPより)


 鏡容池:

 平安時代、龍安寺一円が徳大寺家の別荘であった頃、お公家さんがこの池に龍頭の船を浮かべて歌舞音曲を楽しんでいたことが文献に残ってるそうだ。

 また、昔時は石庭よりも有名で、おしどりの名所であった。今は、カモやサギが池のほとりで羽根を休める姿が見られ、年間を通じて四季それぞれの美しい草花が楽しめる。


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