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修学院離宮 (Oct. 23, '03) |
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比叡山の麓、東山連峰の山裾に造られた修学院離宮は、上・中・下の3つの離宮(御茶屋)からなり、上離宮背後の山、借景となる山林、それに3つの離宮を連絡する松並木の道と両側に広がる田畑とで構成されている、総面積54万5千uを超える雄大な離宮である。
下離宮には、創建時では最大の建物の彎曲閣があったが、比較的早い時期に失われ、今は南を庭園に囲まれた寿月観が残っている。
中離宮には、薬只軒と客殿があり、やはり南に庭がある。
上離宮は修学院離宮の本領であって、谷川をせき止め浴龍池と呼ぶ大きな池を中心ににすえた回遊式庭園となっている。
その浴龍池を一望におさめる東南の高みには隣雲亭、中島に窮邃亭がある。
山麓に広がる離宮のため上と下の離宮の標高差は40m近くあり、大小の滝に加え水流の早い小川もあり、何処にいても絶えず水の音を聴くことができる。
(修学院離宮パンフレットより抜粋) |
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総門
ー 修学院の歴史 −
修学院の名は、10世紀後半ここに修学院というお寺が建立されたのが始まりであった。南北朝時代以後このお寺は廃絶したが、地名は修学院村として残った。
修学院離宮は桂離宮に遅れること30余年、1655-6年にかけて後水尾上皇によって造営工事が起こされ1659年に完成した山荘である。
離宮の造営より早く上皇の第1皇女梅宮が得度して、現在の中離宮付近の円照寺に草庵を結ばれていたが、早くから別荘として適地を探しておられた上皇は円照寺を大和の八嶋に移し、上と下の二つからなる御茶屋を建設した。
中の茶屋は創建当時には無かったものであるが、上皇の第八皇女元瑤内親王(朱宮)のために建てられた朱宮御所に東福門院(後水尾上皇の皇后、徳川秀忠の娘和子)亡き後の女院御所の建物を一部移築して拡張した。
1964年上・中・下の各離宮の間に展開する8万uに及ぶ水田畑地を買い上げて付属農地とし、景観保持の備えとして今日に至っている。
(修学院離宮パンフレットより抜粋) |
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下離宮 |
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寿月観 |
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